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印刷原点回帰の旅 ―プロローグ 印刷史が欠落させていたコト―
キーワード:言葉 表意文字 複製 文化の共有
1445年にグーテンベルクが活版印刷術を発明してから564年。「このシステムは当時、急速に普及して大量の印刷物を生み出し、情報伝播の速度を飛躍的に向上させた」といった話は、誰もが歴史で学んできたことだろう。教科書でなくとも、印刷の歴史について書かれた本をみてみると、ほとんどの場合、「グーテンベルクの金属活字の技術とはどのようなものか」、「金属活字は誰が最初に発明したか」、「どんな印刷物に使われていたか」といった内容になっている。最初に印刷された『グーテンベルク聖書(四十二行聖書)』は特に有名であり、そのうちのいくらかは今なお保存されている。当時の印刷技術についての研究は今でも続いており、その最新情報は絶え間なく世界に伝えられ、日本にも入ってきている。
このように印刷史は、ある意味即物的に論じられてきた。しかし、この即物的な観点で東洋の印刷と比較してみたらどうだろう。中国には、グーテンベルクよりずっと以前から木版という印刷がある。その起源ははっきりしていないが、隋唐時代にルーツがあると言われている。これと比べると、金属活字を誰が最初に発明したかなどという議論は、古さという観点から見れば意味がないことのように思える。それでは、印刷を「メディア」という観点で捉えた場合はどうだろうか。残念ながら、この視点で印刷を論じたものは、今までにはないと言っていいだろう。
「メディア」とは、情報の記録・伝達・保管などに用いられる物や装置であり、媒体である。この観点から考えると印刷物は紛れもないメディアであるが、メディアとは社会や環境によって、大きくその内容や意味を変容させる。例えば印刷メディアである「新聞」は、国家体制が民主主義であるか社会主義であるかによって果たす役割が違うということは、言うまでもないだろう。では、何故「新聞」というメディアが必要になったのか、何故「印刷」という技術を用いるようになったのか。その答えは、文字や文明が生まれた背景を知らずには語れない。
中国を例にとって考えてみよう。ご存知の通り、中国は4,000年以上の歴史をもち、昔も今も国土が広く、他民族国家である。そんな中国で何故漢字が生まれ、木版印刷が生まれたのだろうか。簡単に言ってしまえば、必要だったからだ。中国ではその広さや民族の違いから、同じ国であっても北と南では「言葉」が通じない。だから、漢字という表意文字の共通媒体をつくり、それを利用することで意思の疎通を図る必然性があった。また広い国土に効率よく情報を知らしめるために、木に字を彫って書物を複製する必要があったのだ。中国には、様々な王朝や皇帝に支配されてきたという歴史があるが、例え支配者が変わっても言葉や文字が最初から変わったことはない。むしろ支配者はそれを統治に利用し、文字や言葉は支配層によって新たな文化を付与され進化してきた。つまり、歴史としてみてみると、必然で生まれた言葉や文字を、長い歴史の中で一貫して持ち続けてきたということが、広大な中国をつくる要因となったと言えるのである。文字を用いて法律や歴史書が書かれ、木版で印刷物となることで知識・情報が共有され、地域や王朝が変わっても引き継がれていったという事実が、中国を揺るぎのない国として保ってきた大きな要素なのである。
印刷を「メディア」として捉えたとき、今まで語られてきたものとは違う歴史が見えてくる。「印刷メディアのもつ社会に対する役割」とは何かということをその歴史を通じて最初から見直すことで、文化の遺伝子を運ぶメディアの本質と印刷メディアの価値について、今後、考えていきたいと思う。