本記事は、アーカイブに保存されている過去の記事です。最新の情報は、公益社団法人日本印刷技術協会(JAGAT)サイトをご確認ください。
印刷原点回帰の旅 ―(1)文字の発生―
キーワード:シンボル 書き言葉 文法 論理的思考 文明 巨大集団
「文字」とは、言葉を伝達し記録するために線や点を使って形作られた記号のことである。その起源は、多くの場合ものごとを簡略化して描いた絵文字(ピクトグラム)であると言われ、転用されたり変形されたりして、現在の文字の形へと進化した。様々な文字の形や種類はあるが、「言葉」を伝達し記録するために文字が作られたということは、すべての文字に共通して言えることで、メディアの基本なのである。歴史で古代文明を習うとき、「文明になるには文字の発生が不可欠である」と誰もが教わるが、メディアがなければ文明は育たないということだ。しかし、それは何故かと考えたことがあるだろうか。また、文字を持たない民族と持つ民族との違いは何なのだろうか。
紀元前6,000年頃、人類は定住し始めたと考えられている。定置漁具を使うため、越冬食料の貯蔵のためなどが定住の理由としてあげられるが、1万年前の気候変動による温暖化、森林拡大ないしは環境破壊によって遊動生活が困難になったためという説もある。いずれにせよ定住を始めた際は、親族のグループで暮らしはじめ、だんだんと人口が増え、集落となっていった。集落が100人といった大きさになってくると、一緒に暮らしていくためのルールとなる記号やシンボルが生まれる。例えば水汲み場へ向かう道が二股だった場合、次に来るときや仲間のために片方の道に石コロを置く、といった感じだ。最初は、石コロを置く・枝を折るレベルからはじまり、それが石コロを重ねたようなモニュメントとなり、だんだんと絵などで書き表す形へと変化していく。これがピクトグラムであり、文字へと進化する。こういったシンボルが文字へと進化するか否かの分かれ目は、集落の規模による。口伝ですむか、書き残していく必要があるか、それが境界なのだ。
このように「文字」というのは、記録を残し情報を伝えるために生まれた。そして、「話し言葉」ではない「書き言葉」という違う言語を生み出した。実は、これが社会に多大な影響を与えたのだ。子供が成長する過程を考えてみて欲しい。子供はまず話すことを覚え、文字が書けるようになり、文章を作れるようになる。つまり、話すより文字を覚え文章を作る方が難しく、それを獲得するために教育を受ける。大人になっても上手く文章が書けない人がいっぱいいるのは、書き言葉の獲得とは人間にとっても負荷があるからだろう。
では何故、書くことは難しいのか。文字が生まれる前の痕跡は今もある。集落では様々な行事や儀式を歌舞音曲で表現していた。しかし歌舞音曲での表現はあくまで抽象的で、五穀豊穣・安全祈願だと言っても、詳細は定義できない。例えば「長~い旅をした」という言葉の「長~い」は、どれくらいの長さを表しているのだろう。文字で書く「長い」は「短い」と対比される概念で、話し言葉の「長~い」は感覚である。そもそも情報を伝えるために文章を書くのだから、その文章は相手に意図が伝わるものでなければならない。お互いが理解するためには、文章を形作る文法・ルールを共有する必要ある。つまりそれは論理であって、A=B≠Cのような数式を書くようなものなのだ。話しているときは少々文法が違っていても、その場の雰囲気や話しの流れで相手の意図するところがわかるものだ。しかし雰囲気や流れといった「感覚」がないところに、それは通用しない。文法に則った「書き言葉」である必然がここにある。
情報を伝え残すために文字が発生し、法典のような文書になった。法典は集落を超えて概念を伝える手段になり、集落が概念を共有することで結合して、文明になりうる巨大な人間の集団を生んだ。「書き言葉」が論理的思考能力を向上させ、人間の脳を発達させたため、やがて学問が生まれ、体系だった宗教が発生した。文字の発生をきっかけに、人知が進んで精神的、物質的に豊かな社会、つまり「文明」になったのだ。文字は、学問や宗教のような行動を断続的に発生させていき、文化の遺伝子を運ぶメディアの基本となっていったのである。