本記事は、アーカイブに保存されている過去の記事です。最新の情報は、公益社団法人日本印刷技術協会(JAGAT)サイトをご確認ください。
【わが社】
都市圏の中堅商業印刷の会社で,印刷以外にもプロモーションビデオの受注や,Web制作などをしている。子会社にデザイン会社がある。
【プロジェクト】
以前に印刷物を企画制作した顧客に、丹後ちりめんを主に和装小物を扱う穐山染織株式会社がある。同社のホームページの一部もわが社で手がけたことがある。 営業担当者から、穐山染織が今までとは違う新たな方向性を出そうとしているという話を聞いて、何かこのクライアントを手伝えることはないかと相談をもちかけられた。
そこで、穐山染織のことを調べ直してみると、ビジネスの根本的な見直しがあるらしいことがわかったので、営業と制作の何人かで提案プロジェクトを作り、私がリーダーを務めることになった。
社内のプロジェクトで穐山染織の状況についてまとめていた時点で、わが社のライバルがWebやケータイ販促での提案をしようとしているという情報が入った。そこで営業に様子を探らせた。
穐山染織は真剣に事業見直しを考えていて、そのヒントとして自由に社外からも優れたアイディアを多く得たいので、数社でコンペをして事業のプロモーションや業務改善、タイアップなど、かなり柔軟に検討したいようだという。穐山社長自身がこの件には意欲的で、来月半ばには社長宛にプレゼンをおこなうように各社に要請するようだ。
ということで、社内においてこの1週間のうちに自主的な提案書のラフを作成して、コンペに耐えられるよう一度揉んでおかなければならない。まず、このプロジェクトのリーダーをしてきた私がプレゼンテーションのための提案の骨格を作成して、社内各所で検討してもらい、ふくらませていかなければならない。
<社外秘>
furoshikiプロジェクトメモ 2007.1.27
<社名>
穐山染織株式会社
<設立>
1882年3月10日 穐山商会として創業
1949年 法人化
<資本金>
1800万円
<年商>
9億円(2006年)
<従業員>
58名
<所在地>
本社 京都府与謝郡与謝野町加悦1218
京都営業所 京都府京都市中京区新町通六角上ル
東京営業所 東京都中央区日本橋横山町8-9
<役員>
代表取締役 穐山義人 専務取締役 加藤和彦 常務取締役 穐山和江
<業種>
丹後ちりめん製造
<事業内容>
生地、バッグ、風呂敷、和装小物の企画、製造、卸販売、小売
<企業沿革>
1882年(明治15年)山本屋六左衛門の門下から独立し縮緬販売問屋穐山商会を創業
1906年 地元の縮緬織物加工所を吸収して、穐山縮緬に改組
1929年 精錬・染色技術を確立し、穐山染織に改組
1950年 新鋭自動織機増設 京都営業所開設
1955年 合繊縮緬染色が増加
1975年 東京日本橋に卸売のための営業所開設
2002年 和装小物・風呂敷のネット販売開始
2003年 デジタルプリント(ポリエステル転写)風呂敷開始
丹後地方は高級絹織物である丹後縮緬(ちりめん=クレープ織)の生産地として二百数十年の歴史(参考資料2参照)がある。この地域の織物業者は柔らかな風合いを出す独自技術を持ち、今日に至るまで品質に対する評価は高い。丹後に次いでは滋賀県がちりめんの産地である。明治時代は絹織物が輸出品でもあったので政府の援助もあり、穐山染織株式会社もその一翼を担うかたちで明治時代初期から発展してきた。
穐山商会の創業当時から穐山縮緬までは、白地の反物を製造して京都の業者に卸すことが主であったが、業界の競争が激しかったのでいち早く精錬・染色・仕上げ加工の技術を研究し、昭和の初めに会社名も穐山染織に変え、業務範囲を広げていった。第2次大戦時の生産縮小のあと、戦後復興直後から穐山染織は機械化に投資し、高度経済成長とともに生産ならびに事業は順調に拡大していった。
ちりめんは古来より絹糸から生産されていたが、早い時期から合成繊維も各種使う技術が発達し、複合素材によっていろいろな特徴のある用途開発もおこなわれ、いろいろな織り方が生まれ、和装小物の素材としても重要なものとなっている。風呂敷、ふくさ、帯揚げ、半衿、伊達衿、腰紐、兵児帯など、着物を引き立たせる品々が作られている。
穐山染織は反物の生産からおこなっているが、新たなちりめん素材の開発をするには、単に工場内生産活動にとどまらず、こうした和装小物の生産者とともにおこなう必要があると考えて、自社の営業所を京都市内に開設し、さまざまな和装小物への展開を図っていった。
穐山染織の得意先は全国に広がり、関東にも数多くできたので、丹後ちりめん生産の最盛期の昭和50年に東京営業所を開設した。ここでは和装小物の卸売とともに小売の店舗も兼ねるようにして、穐山染織の得意先の商品販売も手がけることになった。その理由は翳りを見せ始めていた和装の需要家の嗜好を直接把握して、製品開発につなげようという意図があったからである。
2002年には和装小物・風呂敷のネット販売を開始し、またデジタル画像をもとに少量生産をする仕組みを翌年開始して、需要家と直接取引の機会を増やしている。
バブルの崩壊で高額な和装は大打撃を受け、しかも海外の安い織物が大量に入ることで価格も下落していった。21世紀に入ってから和服全体でみて市場規模はスポーツウェア市場に追い抜かれた。流通チャンネルでは百貨店、量販店での売り上げが大幅に減り、「お見立て」をしてくれる専門店での販売に集中の傾向がある。丹後ちりめんもこの10年で生産量は半減し、最盛期の10分の1ほどの規模にまで縮小した。
穐山義人社長はバブル後の経営環境の苦しい時期に3代目社長から家業を引き継いだ。子供の頃から伝統産業の中で育ち、優れた面も足りない面もつぶさに見てきた。悪い意味では伝統にあぐらをかいていて、品質が高く評価されていればいるほど、経営から開発・販売まで硬直化してしまう。これは丹後ちりめんの業界だけでなく和装を扱う全業者や団体に感じることで、よさを自画自賛しているうちに顧客は減っていった。
実はバブル以前から和装離れは言われていたことで、着物は「着る機会がない」、あっても「一人で着られない」「高い」、しかも「動きにくい」などマイナスの要素があり、儀式やパーティ、茶会など特別な席でしか着られないようになっていた。穐山社長にとっては限定的な高級品の路線維持と、なんとか和装を日常化させる工夫の2つが課題となっていた。
和装の高級品は流通機構が古く、商品を貸し出してもいつ売り上げがたつのかわからない状態なので、そこには依存せず、自社で直接販売できる和装小物の取り扱いを増やすことにして、当時立ち上がりつつあったインターネット通販の総合ショッピングモールに出店した。和装小物の店としては比較的出店時期が早かったために、穐山染織は小売の専門店の世界では無名であるにも関わらず、一般消費者の反応は思っていたよりもよく、2006年度で売り上げの15%程度をネット通販で稼いでいる。
成功の理由は、価格はやや高めであるが、量販店や他社には無い品揃えができているので、ギフト用に面白がられたと分析している。こうなれたのは今まで商品開発で提携していた問屋や営業所のコネクションを生かして、まだ市場にはあまり出回っていない和装小物の仕入れができたからである。仕入先も京都の観光客相手の土産品などを開発する際に、穐山染織のネット通販をテストマーケティング的にみている。
しかし、今は本業の落ち込み分をネットがカバーしていても、和装全体では市場が減少しているので、和装小物の拡大には慎重である。確かにネット販売の売り上げは伸びてきたが、ほうっておくとその伸び以上に在庫が増える傾向にあり、商品の絞込みが必要になる。店のブランドを守ることは重要であるとしても、ネットの特質を活かした発展性のある商品を考えなければならない。
ネット通販を始めて間もなく、穐山社長は学校時代の友人から「風呂敷の歴史と使い方」について商工会議所で講演をしてくれないかと依頼を受けた。風呂敷は京都に集中している商品で、しかもちりめんの風呂敷はほとんど丹後で生産されているからである。確かに風呂敷の売り上げは増加傾向で、必ずしも和装とつながらないところにも売れている。
この友人は環境NGOに関わっており、地方自治体や量販店に対してレジ袋の削減目標の策定やその実現方法についてアドバイスをおこなっていて、その活動の一環として幼稚園児から在留外国人までいろいろな層の人々に風呂敷の活用講習会をおこなっている。
レジ袋は日本で年間300億枚消費され、ゴミとしての問題とともに生態系への影響が心配されている。折しも改正容器包装リサイクル法が2007年4月から施行され、今日の家庭ゴミの半分は容器包装であることから、環境省も容器包装廃棄物の排出抑制(リデュース)の対象としてレジ袋の有料化などを推奨している。ショッピングにはマイバッグを持参してもらおうという気運が広がろうとしているが、風呂敷はかさばらないので持ち歩くには都合がよいはずである。
これはヒントになった。単なる風呂敷ならば丹後ちりめんである必要はなく、レジ袋と同様にタダ同然の風呂敷も使われるだろうが、人々に愛着をもって使ってもらえるものでないと、本当の意味の排出抑制にはならない。丹後ちりめんのエレガントさを訴える機会が生まれたと感じた。また「伝統=良品」にあぐらをかくのではなく、現代に生きる人が楽しく使うにふさわしい創造性・オリジナリティも必要だろう。
また風呂敷単品では将来性がないので、風呂敷の再興が和風のよさの認識拡大に結びつき、それがどこかで穐山染織の事業につながってくるような大きな循環も考える必要がある。日本で100年以上経営が続いている各地の伝統工芸の老舗経営者と会う機会を増やして、こういった横のつながりで、単品のアピールだけでは限界がある伝統工芸市場の継承の運動も起こしたいと考えている。「現代に生きる」「創造の楽しさ」「後世に伝える」「老舗の交流」の4つを柱に、穐山社長はビジョンをまとめようとしているようだ。
本試験時点では、上記文書のほか、「財務諸表」、「参考資料(Webページの抜粋)」などが配布されます。
プロジェクトのメモを読んで,以下の項目について考察して論じなさい。
問1
穐山染織株式会社の抱える問題は何か。
問2
穐山染織株式会社の問題に対して,改善点を3つ挙げなさい。
問3
穐山染織株式会社の課題解決に近づくために,メディアによってできそうなことを3つ挙げなさい。
問4
問3と関連付けて,今回の提案が自社にとってどのように益になるのかを記しなさい。
問5
わが社からの提案の骨格を,プレゼンテーションに反映できる様式でまとめなさい。