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コミュニケーションの在り方が大きく変わろうとしているいま、印刷も自らを狭く定義せず、矮小な先入観を捨て、人々の生活を支えるコミュニケーションサービス業として、多様な可能性を求めて「まずは行動する」ことしか未知への扉は開かないのではないか。【西部支社だより(1)】
東京と大阪(JAGAT西部支社)を行き来しはじめて一月半が過ぎた。もともと関西圏生まれの私にとって関西の風は心地よいものである。ことに阪神タイガースが好調(ロード前までは)となればなおさらである。頬をつたう風にうっとりできるのは、ある意味、旅人、あるいは部外者である証拠かもしれない。生活時間が少しずつ多くなると、大阪の事情や東京との違いなどが目に付くようになる。
よく比較されることではあるが、坂の街・東京、川の街・大阪と称されるが、日々実感している。大阪の中心部には大きな川、堀が流れ、それに架かる多くの橋が、街の歴史、風土、風景を分けている。江戸堀、堂島川、土佐堀、道頓堀、東横堀といった堀川、天神橋、淀屋橋、肥後橋、渡辺橋、難波橋の名称が地名や通りとして親しまれている。
かつてはこの堀川が大阪の経済を支えた大動脈であったことはよく知られている。経済の大阪、政治の東京と並び称された。かつては東洋のマンチェスターといわれた繊維産業を筆頭に、製薬、家電、鉄道、住宅、商社、金融、保険、新聞、スポーツ、食品、通信販売、小売など挙げればきりがないほどの近代産業の先駆けとなった企業が大阪で誕生している。
現在は、その多くが東京本社を持っていることから、東京の企業であるかのように見えるが出自は関西が多い。また、関西企業の商法、アイデアを範として基礎を築いた産業、企業も多い。高速道路、新幹線の工事も関西地域から始まった。そんな関西・大阪の雲行きがおかしくなり始めたのはいつごろだろうか。
人口増減で振り返るとどうやら1960~万博の70年ごろがピークで、そこから次第に人口は横ばいに入った。それとは好対照なのが横浜である。
70年ごろから人口増加がはじまり、80年に大阪を抜き去り、現在は大阪を100万人も上回る365万人を有するわが国第二の都市に成長した。東京を中心にした首都圏への一極集中化が顕著になった。ちなみに明治初期の都市人口の順番は、東京、大阪、京都、名古屋、金沢、横浜、広島、神戸、仙台、徳島 和歌山、富山、函館、鹿児島、熊本、堺、福岡、新潟、長崎、高松と並ぶ。江戸時代の経済環境がそのまま反映した順位である。
実は、昔から江戸・東京へ憧れはあったものの地方としての独自性を保っていた。○○銀座のモノマネで終わっていたものが、高速道路、新幹線網の整備が進むにつれて一挙に東京、首都圏へ「ヒト・モノ・カネ・情報」が集中してしまった。
この一極集中型経済ではこれからの少子高齢化、人口減少の環境を乗り越えられないことは明白である。国土交通省も経済産業省も内閣府も方向転換の戦略を打出してはいるがそう簡単ではない。現政権も地域主権を掲げているがこれもなかなか動かない。
国の政策に乗ることもひとつだが、自ら動かなければ何も変わらないのが現実であるとすれば、一極集中型経済でない動き方を地域自ら行動する時代を迎えているのではないだろうか。
印刷に限らずどの産業も企業も東京は魅力的な市場である。だが地域に仕事がないので東京に仕事を取りに行くという姿勢では、印刷はますます過当競争の渦中に入り「ひどい状況」を加速するだけである。地域で頑張るには仕事を作るしかない。仕事が生まれることは地域が活性化することである。地域を活性化 させることはイコール社会貢献である。もう一度それぞれの地域が持っていた力を見直し地域力をつけることで、明治初期のような都市人口のバランスを取り戻すことはできないものだろうか。当然、国内だけでなく東南アジアをも視野に入れてのことだ。
サッカーに続いて野球球団にもやっと地域名が入った。地域名が不明なのは「読売巨人軍」だけである。ゼンリンの新事業部長、秋本則政氏は「便利なネット社会であるが、地域のコミュニティーは崩壊状態にある」「IT時代に見合ったコミュニティー作りが必要だ」という。
東京の利根川印刷・副社長の利根川英二氏は、地元、湯島本郷の町を「湯島本郷百景」として再発見し、町おこしに貢献している。地元目線で日常の街風景を百選び、友人のイラストレーターが水彩画で表現した。それを元に、名刺、絵葉書としてコンテンツ展開をすることで、いろいろな人の目に触れ、自社に採用したいという商店や企業や学校も現れ、区役所からも地域委員として声が掛かるようになったという。印刷というメディア表現が人々の心に響いたこと、そしてなにより、地元への郷土愛をベースに自らがリスクを背負ってコンテンツを開発したことが成功の秘訣であろう。仕事は志によって作るものだということを実践した好例である。
「実測ニッポンの地域力」(日経新聞出版)という本の中で、筆者の藻谷浩介氏は、「人口集積に見合った都市力を発揮できていないのが今の関西だ(京都・大阪・神戸)」と。「本来なら世界企業の本社が林立し世界中から観光とビジネス客がロンドン、パリ並みに来てもおかしくない」「ロンドン、パリに負けない歴史を持っている」にもかかわらず、20歳台の若者の流出が多く、チャンスを求めて東京に向かっている。経済規模の大きさを東京と比べても意味がない。負けることは目に見えているからだという。何で勝てるのか。歴史の厚みであるという。
ただ長い歴史を有する社会にありがちな不合理、高齢化したリーダーなどを刷新し、東京ではなくソウルや上海などにアンテナを張り、関西の文化発信力の回復を図ることが関西再生の道であると述べている。
コミュニケーションの在り方が大きく変わろうとしているいま、印刷も自らを狭く定義せず、矮小な先入観を捨て、人々の生活を支えるコミュニケーションサービス業として、多様な可能性を求めて「まずは行動する」ことしか未知への扉は開かないのではないか。