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電子書籍の存在感が今後ますます高まっていくことは間違いないでしょうが、そうなればそうなるほど、ハードカバーなどリアルな書籍の価値や魅力が再認識されてくるに違いありません。
月刊『プリバリ印』10月号では、様々な人々の「やっぱり紙の本が好き」な気持ちを通して、永遠に輝きを失うことのないリアル書籍の魅力に迫ります。
今回は特別寄稿の明治学院大学文学部芸術学科准教授 長谷川 一氏「書物と物質性-印刷は過去の産業になったのか」より一部をご紹介いたします。
●電子書籍と冊子の書物の違い
印刷の歴史を仮に西欧における活版印刷術の成立に起点をおくとして、もう5世紀半たつ。その事実は、印刷が長い歴史を有するということを表してはいるが、必ずしも単純にその賞味期限が過ぎたことを意味しているわけではない。
電子書籍をめぐる「祭り」の背景を整理してみよう。電子書籍「祭り」とは「言説」である。つまり、何かについて書かれたり話されたりした言葉、ということだ。語られる言葉と、言葉が指し示している「実体」とは区別しておく必要がある。そのうえで語られる言葉に着目するのは、そこで語られる中身がどれだけ妥当かということよりも、語ったり語られたりして言葉を交わしあっている人々がどんな認識の枠組みの中にいるのかが分かるからだ。さて、電子書籍「祭り」で語られる言説のパターンにははっきりした特徴がある。
そのひとつが、電子書籍は冊子の書物の進化形、というような認識である。言い換えれば、冊子の書物と電子書籍とは親と子のように連続しており、かつ世代が異なるという見方だ。なるほど、どちらも英語で同じ「book」という言葉によって連結されてはいる。だが物質という観点から見れば、両者の実体はまったく異なるものだ。両者をテーブルの上に並べてみればよい。似ているのは四角いという点くらいのものではないだろうか。
しかも、よくよく考えてみれば、テーブルの上に置かれた電子書籍とは、電子書籍そのものではない。正しくは、それは電子書籍読書機能を搭載したデジタル情報機器である。
電子書籍は、冊子の書物のようにそれそのものをテーブルの上に置いてみせることができないのである。
理由は簡単、電子書籍は物質的な実体をもっていないからだ。その点において、どんな本であれ否応なく物質でなければならない冊子の書物とは、根本的に異なっている。両者はまったく異なるカテゴリーに属しているのだ。にもかかわらず連続した関係にあるかのように「祭り」のなかで語られてしまうのは、そう見なす見方に、ぼくたちが枠づけられているからである。
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マスコミでも盛んに取り上げられる電子書籍ブーム。
いまいちど冷静な視点を取り戻し、整理することが必要なのかもしれない。長谷川氏の寄稿には「テキストと支持体」「‘本ではない本’を‘発明’する」「原点から考える印刷の未来」とさまざまな切り口から、印刷の未来を考えるヒントが述べられている。
●プロフィール
長谷川一[はせがわ・はじめ]
明治学院大学文学部芸術学科准教授。メディア論。1966年、名古屋生まれ。千葉大学大学院中退後、編集者として約15年働く。その後、東京大学大学院学際情報学府博士課程単位取得満期退学。近年はデジタル・ストーリーテリングのワークショップなどにも取り組む。主な著書に『アトラクションの日常──踊る機械と身体』(河出書房新社)、『出版と知のメディア論』(みすず書房)がある。
■月刊『プリバリ印』10月号
【インタビュー】
■プリバリインタビュー
幅 允孝〔BACH代表。ブックディレクター〕
対話をしていくと、そこにあるべき本が見えてくる
■特集
やっぱり紙の本が好き!
●特別寄稿:書物と物質性 長谷川 一
●スペシャルリポート(1):大型書店で、じっくり、たっぷり、大好きな本や雑誌を探そう!
●スペシャルリポート(2):印刷ビジネスがもっと好きになる20+1冊!
●スペシャルリポート(3):紙の本のサステナビリティ
●装幀家の仕事:本が本になるお手伝いをしている/柳川貴代
【次号予告】 特集:子どもと印刷