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【Interview】 JAGATと何らかの接点のあるデザイン、アート、ビジネスのキーパーソンに聞く。第3回目は、1996年から2008年までJAGATinfo誌の表紙を飾ってくれた型染版画家の伊藤紘氏に話を伺った。
●「伊藤紘版画展 日本のかたち」を浅草で開催中
― 現在開催中の個展 について聞かせてください。
伊藤:日本の文化と、日本人の誇りを再確認するという観点から選んだ25点を展示しています。新作も幾つかできました。会場のアミューズミュージアムは浅草寺のすぐそばで、古民具や民俗品、浮世絵などの貴重な展示品もあって、面白い空間です。
型染版画の技法について質問されることが多いのですが、今回は制作風景のビデオ を流しているのが分かりやすいようで好評です。
― 収益を大震災被災者支援に役立てられるお考えですね。
伊藤:大震災と放射能問題は大ショックです。特にこれからの世代の人たちに、何ということをしたのか。我々世代の責任は逃れられません。被災者に対して、ささやかながらの行動は、寄付以外、仕事を通じてとなると、せめて個展の収益を何かに役立てたいと考えました。
●明朝体活字に魅せられて
― 1996年にJAGAT機関誌『プリンティング・インフォメーション』(現在のJAGATinfo)の表紙 をお願いして、第1回目は「藁」でした。漢字1文字にその意味に合わせた絵柄を組み込んだ「一文字シリーズ」は、日本の文字とかたちを追求してきた伊藤先生ならではの作品で、表紙としてもインパクトのあるものになりました。文字に対しては、子供のころから興味があったのですか。
伊藤:新聞の明朝体活字の美しさに感動したのが最初だったと思います。高校生のときには通信教育のレタリング講座を受けたこともあります。エンジニアとして就職した後も、「文字」に対する思いがあって、デザインの専門学校で勉強してから、広告制作プロダクションに転職しました。電子レンジが開発されたばかりのころで、家電メーカーのSPなどを手掛けました。
― 最初の個展はレタリング展でしたね。
伊藤:100人規模のプロダクションで、マス広告が力をもっていた時代なので、グラフィックデザイナーとしての仕事は非常に充実したものでした。それでも、文字に対する興味はずっと強くあって、その表現方法を模索していました。生活の中に昔からある文字、石碑や暖簾、看板などを写真に撮りためたり、大きなニュースのあった新聞の一面を1.2倍に拡大して手書きで模写したりしていました。
大阪に転勤になって、1年間の在任中に京都・奈良の古寺を巡ることができて、日本的なものの良さを再確認したのもこのころです。仕事の後は毎日のようにお酒を呑んで、休日は晴れていればお寺を回って、雨の日は新聞の模写をしていました。
― 独立を決意されたきっかけを教えてください。
伊藤:きっかけは会社から、ヨーロッパに2週間の予定で派遣されたことです。チロル地方の大雪原でポツンと小さな民家の灯りを見たとき、モノも情報も限られている中での自給自足の生活の豊かさにショックを受けました。印パ紛争の影響でテヘランに足止めされたりといろいろあって、18日間の旅となりましたが、それまでの仕事に追われた毎日が虚しくなって、結局冬のボーナスをもらって翌春辞めました。
― 1975年に伊藤紘制作室を開設されましたが、当初の仕事はグラフィックデザインが中心でしたか。
伊藤:広告の仕事には当然ながら制限と責任があります。クライアントに「ここを赤くしてほしい」と言われれば、黒がいいと思っても色を変えるしかない場合もあるわけです。広告デザインの主流が欧米追随であったことにも違和感を感じていました。
●型染版画で独自の作品世界を構築
―型染版画との出会いはそのころですか。
伊藤:型染版画は、日本の伝統的な着物や布地の染め技法を応用したもので、織物への型染と同じ工程で作られます。芹沢銈介先生の作品が昔から好きだったのですが、その弟子に近い人に基本だけ習って、後は自由に作り始めました。
― 師匠はいないということですね。
伊藤:伝統的な技法を応用して、現代感覚を入れて、着物の紋様のようなパターンではなく、版画として一点で完結した作品としました。日本各地を旅し、日本の自然、建築、伝統工芸など日本文化に触れるたびに、自分にしかできない作品でその素晴らしさを表現したいと思っていました。街の文字の収集もずっと続けていて、「日本の文字とかたち」というテーマは最初から明確でした。
― 創作の苦労はどのような点ですか。
伊藤:型紙を彫った後、布の代わりに和紙を置き、その上に糊を置き、絵の具を刷り込んで染めていき、色が定着した後に水で糊を洗い流し、出来上がりとなります。下書きをして彫るのがいちばん大変な作業です。にじみが出たり、計算外の風合いが出てくるのが手技の面白さです。1989年に初めて型染版画の個展を開いて、想像以上の反響に自分でも驚きました。
― 「日本の文字とかたち」といっても、家紋や仏像、草花など、作品のテーマはとても幅広いものですが、作品のテーマに苦労することはありませんか。
伊藤:日本の文化がそれだけ豊かである証拠です。それをいかにビジュアル化し、自分なりの世界をかたちづくるのか、それがものづくりの苦しさですが、テーマは尽きないものがあります。「思いあれば技術は後からついてくる」という河井寛次郎の言葉を励みにしています。
「刺子」という作品を彫ることで、一針一針縫い込んだ、昔の人の手仕事を追体験することができました。「観音経」を彫るときは、実際に観音経を唱えながら作り上げていきましたが、そういうものは作品を見る人にも伝わるようです。
― 最後に今後の抱負も含めて一言お願いします。
伊藤:これからも手仕事にこだわって、日本のよさを伝えていきたい。日本の文字とかたちの美しさ、豊かな日本文化の一端を紹介していけたらと思っています。
【profile】 伊藤 紘 [いとう・ひろむ] 1944年横浜市生まれ。グラフィックデザイナーとして企業広告の制作に携わった後、フリーに転身し、伊藤制作室&ギャラリーを立ち上げる。県展で神奈川県知事賞ほか文字デザインコンペでの受賞多数。著書に叢文社刊『型染版画 伊藤紘』、芸艸堂刊『伊藤紘型染作品集 染め文字』、東京堂出版刊『街角のデザイン文字』、伊藤紘制作室刊『写文集/街の文字たち』など。 |