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放送と通信について考えてみると、まず放送は輻輳による遅延なく、同じ内容を一斉に送る事が出来るので、ライブ番組などの配布に向いている。
放送は、同じ内容であれば、大量のデータを同時に全対象者に送付出来ると言うことでもある。かたや通信は、パケット通信であるが故に、様々な情報を別々のタイミングで伝送できるが、回線の輻輳による遅延のリスクがある。従ってダウンロード型の配布に向いている。(ただし通信の世界でも、最近はマルチキャスト技術が進んできて、放送と同じ ようにライブ配信も出来るようになって来てはいるのだが・・・)
もう一つ、放送と通信の違いで大きいのは、距離による制約である。通信はインターネットの名の通り、グローバルである事はご承知の通りである。一方の放送波(地上波)は、電波塔からの一斉同報である。従って放送事業者は(NHKという唯一の例外を除いて)、地方毎に存在している。事実、地上波放送は日本全国に350社以上の事業者がひしめいている。これに加えて、衛星放送系の事業者が130社以上有ると言われている。つまり放送は、地上波だと距離 つまり地域という制約があり、日本のような島国に限れば、衛星だとその制約が少なくなると言うことである。いずれにせよ、これだけの放送事業者が、通信とは別の電波帯域を使って、銘々の番組を流しているわけである。
ここでふと思うのは、これらの電波は誰が、何のためにどれだけ使っているのか、ということである。放送事業者はむろん、「視聴者の皆様のニーズに合わせて、きめ細かく番組を配信する」と言うことだろうが、この電波帯域という空間は極めて限られたものである。よって当然公共のために正しく公平に利用されるべきものではないのかと云う事になる。そこで政府が管理して、電波法・放送法が制定されたということだろうが、これまで携帯電話サービス事業やマルチメディア放送事業の許認可の過程で、いわゆる「裁量行政」の弊が取りざたされなかった事はない。現行の免許制度が本当に公共のために、正しく公平に行われているかは、この辺で考える必要があるのではないだろうか。
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◆著者
代表取締役 太田明 ( このメールアドレスはスパムボットから保護されています。観覧するにはJavaScriptを有効にして下さい )