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日本電鍍工業の伊藤麻美社長は、元ラジオDJで、宝石の鑑定士・鑑別士という異色の経歴と、倒産寸前のメッキ加工会社を3年で黒字化させた手腕で注目を集めている。 【経営シンポジウム・特集3】
父の生きた証を守り、社員と家族を守りたい
大学を卒業後、フリーのDJとして、FMラジオなどで8年間活躍した伊藤麻美氏は、一生続けられる仕事をしようと思い、宝石の勉強をするためにアメリカに留学した。宝石の鑑定士・鑑別士の資格を取得し、将来の方向性が決まりかけていた矢先、父が創業した会社が倒産寸前で、会社名義の実家を手放すしかないところまできていることを知った。会社を継ぐことは全く考えていなかった麻美氏だが、帰国後の2000年3月、日本電鍍工業の代表取締役に就任することになった。
日本電鍍工業は麻美氏の父光雄氏が1958年に創業したメッキ加工メーカーで、自身が開発した新しいメッキ法を武器に、国産時計メーカーの指定工場となり、1980年代には売上高40億円、社員180名、納税額では埼玉県上位5社に入る企業にまで成長していった。
1990年に病気で光雄氏が急逝した後も、会社は順調に思え、麻美氏は自分の好きなことを仕事にしたいと考え、音楽が好きだったことからラジオのDJとして社会人をスタートし、更なる飛躍を求めて留学の道を選んでいた。
思いがけない会社の窮状を知り、火中の栗を拾う決意をさせたものは、父の生きた証を守りたいという思いと、社員とその家族の生活を守りたいという思いだった。さらに「死に体」とまで言って見放した銀行に、いつか「借りてください」と言わせたいと思って頑張ったという。
コミュニケーションが会社を強くする
その経歴と32歳で就任して3年で黒字化を達成した手腕が注目されて、古巣であるラジオのゲストに呼ばれる機会も少なくない。11月5日放送のJ-WAVE「MakeIT21」では、「小さなハッピーを積み上げる」「社員を愛し、愛のある品物を提供する」「つらさの先に楽しみがある」などの発言からポジティブな生き方がうかがえた。
思いがけないかたちでの社長就任ではあったが、これまでの知識や経験がムダにはならないし、自分の夢を諦めたわけでもないという。DJ時代は喋らないゲストに喋らせることも仕事だったが、コミュニケーションは会社経営でも重要なことで、社員との面談ではそれぞれの考えを引き出すことに役立つ。宝飾品のメッキも手掛けているので、宝石の知識も役立つ。きつい要素は多いが、自分自身の努力次第で解決できることだからと、あくまでも前向きだ。
2007年には経済産業省・中小企業庁編「元気なモノ作り中小企業300社」に選ばれ、2008年に埼玉県子育て応援宣言企業の登録、彩の国工場の指定を受けた同社だが、今後については規模を追求するのではなく「継続と雇用の維持」を最優先すると断言した。
番組のFacebookには、「ウワッッ!懐かしい!昔、御局で土曜日の朝にハワイから生放送で番組をやってた方が実業家になられてたんですか?」「感動しました。番組を聴きながら、このような社長のもとで働けるスタッフは幸せだと、しみじみ思いました」「伊藤さんの経営に対する決意、心構え、社員・家族を大事にする心、それでいて仕事を楽しむ心等、心に深く響く放送でした」などのコメントが寄せられている。
■関連イベント
「経営シンポジウム2011 不易流行の経営~事業承継と新創業を考える 」
2011年11月22日(火)千代田区立内幸町ホール
スピーカーの1人、日本電鍍工業の伊藤麻美社長には経営改革を社員と進め、3年で黒字化を達成した戦略と経営者としての「志」を語っていただきます。