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東日本大震災の被災地では地元新聞が大きな力を発揮した。困難な状況にあって、そのジャーナリズム精神は、メディアの役割、報道のあり方を問い直すきっかけとなった。
優れた文化活動に携わった個人や団体に贈られる「第59回菊池寛賞」に、石巻日日新聞社と河北新報社が選ばれた。受賞理由は「3・11東日本大震災で被災、数々の困難に直面しながら、地元新聞社としての役割と責務をそれぞれの報道において果たした、そのジャーナリズム精神に対して」とある。
2011年12月3日に行われた贈呈式では、石巻日日新聞の武内宏之報道部長は「震災がなければ、東北の小さな新聞社がこういった席にくることもなかった」と複雑な心境を吐露した。河北新報の武田真一報道部長は、震災直後に新聞を届けると泣き出した読者がいたという話を披露し、「地域とともに歩む地方紙の役割を重く受け止めている」と語った。
宮城県石巻市の夕刊紙、石巻日日新聞は被災翌日から6日間にわたり手書きの壁新聞を貼り出したことで、広く知られるようになった。地域新聞の価値は「地元住民に、正確な情報を届けたい」であり、「ペンと紙さえあれば伝えられる」と近江弘一社長の決断で壁新聞発行になったという。
この壁新聞はジャーナリズムの原点を示すものとして、ワシントン・ポスト紙が写真入りで報じ、現物がワシントンの報道博物館「NEWSEUM(ニュージアム)」に展示されるなど、国内外で大きな反響を呼んだ。そして、角川SSC新書から『6枚の壁新聞・東日本大震災後7日間の記録』として出版された。同書のあとがきで、近江社長は「全国紙が速報性と正確性を最大要件にした報道であるとすれば、地域紙は、この場合、むしろ正確性と公平性が優先されるのではないでしょうか」と記している。
東北地方のブロック紙である、河北新報の3月12~14日の一面記事が再録された『巨大津波が襲った3・11大震災―発生から10日間の記録 緊急出版特別報道写真集』(河北新報社刊)は、大手新聞社の報道写真集を抑えて、トーハン調べ「2011年年間ベストセラー(単行本-ノンフィクション他)」の9位に入っている。
また、『河北新報のいちばん長い日 震災下の地元紙』(河北新報社著、文藝春秋刊)には、肉親を喪いながらも取材を続けた総局長、亡くなった販売店主、倒壊した組版システム、被災者から浴びせられた罵声、避難所から出勤する記者など、それでも新聞を作り続け、被災者に寄り添った社員たちの姿が記録されている。
Amazonブックレビューには、宮城県沿岸部に住む読者から「震災翌日、寒空の下スーパーに何時間も並んでいたら、ふいに配られた薄い新聞を鮮明に思い出しました。(中略)河北を手に取った瞬間、光が刺したような気がしました。それから毎朝、新聞が届くのがどんなに待ち遠しかったことか。 新聞がそのまま、救援物資のようにさえ感じました」との声も寄せられている。
新たなメディアが次々に出現し、新聞はオールドメディアと言われるようになった。しかし、携帯電話も不通で、ラジオを持って避難した人はごく一部という状況下で、避難所に運ばれた新聞の山はあっという間になくなったという。
震災から月日が経って、大手メディアは「震災後3カ月」「震災後半年」という区切りで特集を組む体制となり、日常のニュースの枠では語らなくなった。しかし、被災地に本拠地を置く石巻日日新聞や河北新報は、今でも被災者に寄り添った報道を続けている。それこそが「地元新聞社としての役割と責務」であり、「そのジャーナリズム精神」は、全国をカバーする大手メディアや、個人が発信するソーシャルメディアでは対応できない「報道」のあり方なのではないか。
■関連情報…『印刷白書2011』
「震災とメディア」を特集として取り上げ、震災後のメディアのあり方、メディアの使命、復興、公益性、公共性などを考察し、信頼ネットワーク再構築の提言を行っています。
第1部 特集 震災とメディア
○プロローグ:東日本大震災が社会やメディアに与えた影響
○特別寄稿:生き延びるためのメディアと信頼ネットワークの再構築
○小論:メディアの使命とコミュニティーのあり方
○関連資料:東日本大震災
○コラム:震災・原発関連書籍