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知識とアイデアで奈良の魅力をアピール -雑誌、アンテナショップを活用した観光促進 【印刷会社と地域活性化 (9)】
地元の観光に役立ちたいという純粋な思いから持ち出し覚悟で地域情報誌を出し続けてきた印刷会社がある。アンテナショップや地域情報誌など、地域を思う多くの協力者とともに観光客の誘客に取り組む、実業印刷株式会社の沢井啓祐社長にお話を伺った。
奈良のためにできること
1959(昭和34)年に活版印刷会社として設立された実業印刷株式会社(奈良市)は、句集・歌集や町村史誌などの自費出版や電子ブックなど、強みの文字組版技術を生かした仕事を多く手掛けている。制作物企画に入る前の段階から詳しいヒアリングを行って企画内容を決めていくなど、より良い作品を作るための手厚い制作体制に定評がある。
その他にも、ボランティアとして社長が思いを込めた奈良の魅力を伝える観光情報誌を14年にわたって発行、東京・日本橋にある奈良県のアンテナショップ運営に参画するなど、観光を軸にした地域活性化活動を続けている。「地域への貢献や街の活性化を考えて活動を始めたわけではなかったんです」と社長の沢井啓祐氏はいう。
会社として個人として奈良県や地域のためにできることを考えるようになったきっかけは、奈良市が開催する異業種交流塾への参加だった。市内から様々な立場の参加者が集まり、地域振興や街の活性化・作り方、観光化などについて学んでいくうちに、印刷会社として県や地域の活性化に寄与できる方法を模索し始めた。
感動と発見を届ける『あかい奈良』を創刊
奈良の魅力を伝える地域情報誌が少ないことに気づき、1998 年秋、考古学や民俗学の話題から、人物像、芸術、伝統的な行事、食べ物、文学に至るまで、衣・食・住・娯楽を切り口に奈良を紹介する季刊誌『あかい奈良』を創刊した。
自費出版などで培った経験やノウハウが生かせて、観光のために役立つと考え、新媒体創刊を決めた。
「協力者を探すと、町のミニコミ誌などを作り、グラフィックデザインの仕事をしている女性編集者と出会いました。その方を編集長に、県の文化関係の部署で働き退職された方、民俗関係の仕事をしている現役の県職員、カメラマンに書道家、花の研究家など、すぐに多くのボランティアに近い協力者が見つかりました」。
奈良は多くの歴史遺産に恵まれ、住む人びともそれらに誇りを感じて特別な思いを寄せている。しかし、あまりに身近過ぎてその価値に気づかない人も多い。取材先や内容については、「本当によいと思うもの、知ってほしい情報」を意識しながら人脈や思い入れで選ぶことにした。当初は、広告収入型にすることも考えたが、媒体のコンセプトや広告効果の面から難しいと考え、広告に頼らない制作・発行体制にした。
奈良の観光に少しでも役立ちたいという純粋な思いから、持ち出し覚悟で続けてきたのだという。
ただし、まとまった冊数を購入するホテルや旅館などに対しては、媒体内にその企業の広告を入れた特別版を印刷して納品した。これは印刷会社だからこそできるサービスだった。
媒体認知度が上がるにつれ、コンテンツの二次利用を希望する声も増えてきた。しかし、『あかい奈良』の媒体特性を考えるとコンテンツの一部だけ切り取って渡すことは難しかった。創刊以来のスタッフも多く、さらなる発展や今後の人脈、ネットワーク作りを考えた際に世代交代の必要性も感じていたため、より自由度の高い媒体の創刊を決め、2012 年冬・55 号を最終巻に『あかい奈良』を休刊し、後継者に次を託した。
様々な取り組みと連動する観光情報誌『まほろびすと』の創刊
奈良遷都1300 年祭で成功を収めた県が、『古事記』完成1300 年である2012年から2020年の『日本書紀』完成1300 年を結ぶ9 年間にわたるプロジェクト「記紀・万葉プロジェクト」を始動させた。県を挙げて取り組むプロジェクトにも利用してもらい、観光PR などに役立ててほしいと考え、記紀・万葉プロジェクトの記念イベントが開催される直前の2012 年1 月25日、『まほろびすと』を創刊した。「奈良の活性化や誘客を考える人たちが、奈良の魅力を伝える写真やコンテンツを自由に利用できる開かれた媒体」というコンセプトは、後継者が考えた。
誌名の『まほろびすと』は、ほかに類を見ない素晴らしい国や場所を意味する「Maforova(まほろば)」に「ist(…主義)」を加えて「MaforoVist(まほろびすと)」とした造語だ。奈良を訪れ歩き、自分だけのまほろばを見つけてほしい、という思いを込めている。ヤマトタケルが終焉の地、鈴鹿で歌ったと言われる挽歌でも、「やまとは 国のまほろば たたなづく 青垣 山ごもれる やまとし うるわし」(古事記より)と歌われている。
「『まほろびすと』で取材した内容やアーティストは、東京にある奈良のアンテナショップの展示や講演にも協力してくれています。良いと思ったコンテンツは、色々なシーンで使い、様々な形で奈良の魅力を伝えていきたい」。
記事広告については『あかい奈良』と異なり、奈良の文化や歴史、観光に関係するクライアント、奈良の活性化に協力してくれるクライアントに限定して取り入れた。
奈良県の情報発信拠点『奈良まほろば館』
東京・日本橋にある「奈良まほろば館」は、県の特産品販売の他に、県職員である観光コンシェルジュによる観光案内コーナーや、奈良の魅力を伝えるための展示スペース、講演会やイベント開催など、ただのアンテナショップに留まらず、多角的に奈良の魅力を伝えていく情報発信基地になっている。
「15年前、県による『21世紀未来塾』という勉強会が開催されました。塾が終わった後も参加メンバーが交流を続け、奈良で楽しく過ごせる企画を考える有志の会『ならの会』を設立し、イベントなどを手掛けてきました。今回はその中の4 社が共同出資して株式会社奈良の会を立ち上げ、まほろば館の運営に公募したんです」。
「美と信仰」というコンセプトにふさわしく、木を基調としたつくりの「奈良まほろば館」には、奈良の文化や信仰を伝える多くのグッズが並んでいる。
東京出身でありながら店長を務める藤田恵子さんは、元々寺社仏閣や仏像が好きで奈良に惹かれるようになり、お店の人材募集を見つけたとき、運命だと感じて応募したという。
「私達店舗スタッフの合言葉は『全てを奈良に還元する』ということ。東京の方達から見て魅力的に感じられる「観光に行く奈良」を演出して、紹介していきたい。お店に来ていただいて、実際に奈良を訪れていただいて、両方で奈良を楽しんでいただきたいと思っています」。
県職員や奈良の会の企画担当、店舗スタッフが知恵を出し合って開催したセミナーは、2 年間で80 本にも及ぶ。
その他、2 週間に1 度更新される展示内容など、奈良の魅力を余すことなく発信し続けている。
印刷メディアで培ったノウハウで奈良を盛り上げる
沢井社長は、今後、紙の需要が増えることは考えにくいという。業界が縮小していく中、長く印刷に従事してきた身として何ができるのかを模索した時、「観光」が自社のキーワードになると考えた。「観光」は今後、奈良はもちろん日本にとっても非常に重要なテーマになっていく。「個人、そして会社として、紙メディアやイベントを通して奈良の観光振興の一助となるような活動を続けてきた。今後は地域情報誌『まほろびすと』はもちろん、観光グッズなども考案して奈良に誘客できるような、観光振興に強みを持ち、観光に特化した印刷会社になっていきたい」。
最近は、「奈良まほろば館」を使って情報を発信しながら、訪れる人達の奈良へのニーズを探り、観光客に喜ばれる奈良の新しい商品企画や、奈良の観光ツアーなどの試験運営も始めた。
「全ては奈良のために」。沢山の思いを込め、採算を度外視して続けてきた『あかい奈良』で築き上げたノウハウやネットワークなど目に見えない多くの財産が、今の『まほろびすと』や「奈良まほろば館」の運営に引き継がれている。実業印刷は今後も、奈良の価値や魅力を紙媒体や店舗を使って人へと伝え、人と奈良の間に化学反応を起こしながら輪を繋いでいくだろう。
-取材協力ー 実業印刷株式会社 【事業内容】 企画、デザイン、DTP、CTP処理刷版、印刷、情報処理、画像処理、広告、Webサイト制作 |