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没後10年の今年、改めて注目されているグラフィックデザイナー 田中一光を通し、デザインが社会に果たす役割について考えてみたい。
田中一光。
グラフィックデザインに少しでも関わった人であれば知らぬ者はない、巨匠である。
田中一光を知らないという人も、例えば、西武デパートやロフトはご存じだろう。また、無印良品の愛用者も多いと思う。
田中はかつて旧セゾングループのクリエイティブディレクターであり、無印良品の発案者の一人でもあったのである。
田中は、2002年に亡くなるまで約50年に渡る活動の中で5000点を超える作品を世に送り出し、日本だけでなく、海外からも高い評価を受けている。
そのデザインは明快だ。洗練され格調も感じるが、小難しいところはない。時にはユーモアも見え隠れする。
今年は、21_21 DESIGN SIGHTの企画展「田中一光とデザインの前後左右」*1をはじめ、田中の軌跡をたどる展覧会が各地で行われている。
田中はなぜデザイン史に名を残すことができたのだろうか。そして、今を生きる私たちは、彼の業績から何を学び、継承することができるのだろうか。
●デザイナー、クライアント、消費者の三角形を意識
1930年生まれの田中は、30代、40代の、人生に脂の乗った時期を高度成長期とともに生きた。
鐘淵紡績、産経新聞、ライトパブリシティ、日本デザインセンターを経て1963年に独立し、田中一光デザイン室を主宰する。ちょうど東京オリンピックを控えてデザイン界が盛り上がっていた時期であり、田中はピクトグラムや参加メダルの背面のデザインを手掛けた。その後は大阪万博・政府館1号館の展示設計、「科学万博─つくば'85」のシンボルマーク、セゾングループをはじめとする企業のCI計画への参加など、日本経済の発展とともに、大規模なプロジェクトに関わっていった。
このようにグラフィックデザイナーにとって幸運な時代に恵まれてはいたが、田中が際立っていたのは、時代と社会を見渡す視点をもっていたことだろう。
時代のニーズと自らの創造との接点を常に探っていた。
戦中戦後に10代を過ごした田中氏は、豊かな文化に対し、飢えにも近い憧れを持っていた。1960年に初めてニューヨークを訪れた際、彼はボウリング場、スーパーマーケット、自動販売機などに衝撃を受けたという。当時はそのくらい、アメリカと日本の文化の差は大きかったのだ。
同時に、奈良に生まれ京都で学生時代を送った田中には、関西の庶民文化が常に身近にあった。その美意識を生かし、日本の伝統を西洋的な表現で再現したデザインを次々と世に送り出した。
日本が戦後の混乱を経て経済復興を果たし、国際社会に認められていった時代。西洋世界に対していかに日本人のアイデンティティーを主張していくかが模索された時代でもある。田中のデザインは国内外の人々の共感を得ることとなった。
経済成長がさらに進み、1980年代には空前のCIブームが起こる。田中は企業理念からイメージを捉えるCIの重要性を理解していたが、環境との不調和や没個性の方向には批判的な意見を持っていた。
店舗などのクリエイティブディレクションを手掛ける中で、田中は
「文化は個性と独自性をもっている。これほど世界各国の文化を輸入している日本が、なぜこんなに画一的なのだろう」「私はCIの画一化による弊害を訴えたかった」*2
と語っている。
そんな田中の思いは無印良品にも反映されている。
無印良品は1980年に、過剰消費社会へのアンチテーゼとして始まった。
元々は西友のプライベートブランドであり、田中と、当時のセゾングループ代表 堤清二が発案してプロジェクトが組まれた。
「わけあって、安い」をキャッチフレーズに、生活用品の素材を見直し、生産工程の手間を省き、包装を簡略にした。この方針は田中の死後も引き継がれて消費者に支持され、一大ブランドに成長した。*3
デザイナーと社会との関係について、田中は
「私のデザインの基本的な考え方は、企業とデザイナー、社会とデザイナーという双方向のチャンネルを常に確保しておくという点である。クライアントとの関係だけでデザインするだけでなく、消費者や観客の立場でデザインする。常にその三角形を意識しながらそれぞれを頻繁に往復することで、デザイン本来の姿に戻れると思っている」*2
と述べている。
ところで
「デザイナー、クライアント、消費者」
田中が提唱した三角形のうち「デザイナー」を「印刷会社」に置き換えてみてはどうだろう。
印刷会社はクライアントに印刷物を納品する。クライアントの活動はそこから始まる。クライアントの向こうには、消費者がいる。印刷会社の知らないところで、印刷物は多くの消費者が目にし、手に取り、何らかのアクションを起こすきっかけとなる。一瞬で忘れ去られるか、興味を持ってもらえるか。印刷物の価値は消費者の行動によって決まる。
グラフィックデザインの考え方には、印刷会社がコミュニケーション支援ビジネスを展開する上でのヒントが含まれているのではないか。
次回は、田中が好んだ裏方の仕事などについて考えてみたい。
(JAGAT 研究調査部 石島 暁子)
*1 企画展「田中一光とデザインの前後左右」
21_21 DESIGN SIGHTにて2012年9月21日(金)-2013年1月20日(日)まで開催
*2 『田中一光自伝 われらデザインの時代 』 白水社
*3 良品計画|無印良品について
田中一光 華麗なる裏方(後編)
デザインは、苦行であってはならない