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日本の文字と形をテーマに「型染版画」という手法による作品を発表し続けている作家、伊藤紘氏の仕事を通じ、手仕事の価値を考える。
2014年5月28日〜6月10日まで、日本橋三越本店[はじまりのカフェ]GATE Aにおいて、伊藤紘版画展「佇むかたち弾む文字」が開催された。新作を含む約50点の作品展示のほか、型彫体験のワークショップも行い、参加者に手仕事の難しさと面白さを伝えていた。
http://hajimarinocafe.jp/gate/artcafe/
伊藤氏はグラフィックデザイナーとしてタイポグラフィに関わりつつ、1980年代から「型染版画」による作品を発表し続けている。印刷関連業界誌をはじめ数々の雑誌の表紙デザインも手掛け、日本印刷技術協会でも1996年から2008年まで13年にわたり会員誌『JAGAT info』の表紙をデザインしていた。
『JAGAT info』2005年までの表紙作品ギャラリー
また、2012年にフランスで開催されたJAPAN EXPOに出展し好評を得るなど、海外からの評価も得ている。
参照:日本のこころ、かたち、わざは海を越える
「型染版画」とは、日本の着物の布地への型染と同じ技法で和紙を染める版画である。型彫り、糊置き、色差し、水元、乾燥など複雑な手作業の工程を経て完成させる。
伊藤氏の作品は、和紙の風合いと型染ならではの柔らかな色彩やにじみが、見る人に素朴さや暖かさを感じさせる点に味わいがある。一方ではレイアウトの大胆さ、文字と図柄が絡み合う構成の妙、緻密な描写による奥深さをも楽しむことができる。まず作品全体を眺めた後、近寄って細部をじっくり見ていくと、さまざまな発見ができる。
伊藤氏が扱うモチーフは漢字やひらがなといった日本の文字とともに、その文字にまつわる花鳥風月や日本古来の建造物、工芸品などを組み合わせている。日本の生活文化に対する伊藤氏の暖かな眼差し、そして敬意を感じる。
例えば作品「菊づくし」では、画面中央の「菊」の漢字の周囲にさまざまな菊型の紋を散りばめ、一つのモチーフから生まれる世界の広がりを表現している。作品「アンギン」は、新潟に縄文時代から伝わる編布を画面いっぱいに描いている。編目の一つひとつまでを丁寧に彫り出して表現され、あたかも古代の人々の営みに思いを馳せているかのようだ。
左:「菊づくし」 右:「アンギン」
型染め版画は手間暇の掛かる仕事だ。工程が多く神経を使う。特に型紙を彫る作業は最もエネルギーを使うと伊藤氏は語る。
現代のデジタル技術を駆使すれば、似たテイストの作品を効率よく制作することが可能かもしれない。しかし生産技術がどんなに進んでも、手仕事の技とそれが醸し出す世界観は何にも代え難い人間の財産であり、次代に引き継いでいくべきものであろう。
伊藤氏のような、手仕事にこだわりを持つ作家の仕事は、完成作品だけでなく制作過程までも含めてひとつの芸術と捉えるべきものである。
かつての印刷産業は熟練の職人による手仕事が支えていたが、今日では、印刷会社の現場で手仕事の出番は少なくなった。印刷産業の発展に機械化が果たした役割は大きい。しかし、印刷物制作は、スピード・効率を追求しながらも、美しさや情緒に対する感性が依然として不可欠である。感性を磨くためには、よいものを数多く見ることも大事だし、時には、自らの手でものを作るという体験も有効だ。
日々の業務では手で文字を書く機会すら減っているという人も多いだろう。時には手を動かし、身体を動かし、何かを作ってみよう。自らの体験を通してこそ得られる感覚は、印刷物制作にも生きてくる。