本記事は、アーカイブに保存されている過去の記事です。最新の情報は、公益社団法人日本印刷技術協会(JAGAT)サイトをご確認ください。

科学と工学技術が『美』を捉えるまで

広義の科学には哲学や美学も含まれますが、先ずは自然科学と工学技術を中心にすえ視覚メディアに限定してお話を進めたいと思います。視覚的であっても、聴覚や味覚的でも『美』は個人的な心の働き(心理)がからむ主観的で複雑なテーマです。

先に島袋副会長が指摘したように、現在の科学と工学技術では『美しさ』を直接計測・評価することはできません。科学と工学技術は『美しさ』を構成する要素を見つけ出し、その要素一つ一つについて科学的合理に基づいた理解を進める共に、それぞれの要素についての計測・評価が可能となるように研究と実用化を進めてきました。

現代の視覚メディアは、二つの種類に大別することができます。印刷や写真、映画のようにメディアの基本技術に走査技術を含まないものと、テレビやコンピュータ画像、デジタル写真、インクジェット・プリンターなどのように走査技術を含む形式の視覚メディアです。

これを別の表現で言い直すと、前者は非電子画像メディア、後者は電子画像メディアということになります。非電子画像メディアで最も歴史の古いのは、言うまでもなく印刷メディアです。また、電子画像メディアで最も歴史が古いのはテレビメディアということになります。

印刷メディアはグーテンベルクを起点として約500年の歴史、テレビメディアはブラウン管の発明を起点として約100年です。そして重要な事実は、グーテンベルクの印刷物は最初からそれを見る人に美的感動を与えたと思われることです。印刷は誕生当初からエレガントな素晴らしい総合的技芸でした。これが後々の印刷文化に与えた影響は、極めて大きかったと筆者は考えています。

これに対して最初のブラウン管は、暗室でようやく緑色のかすかな輝線が1本見えるだけのもので、画像ディスプレイとして本格的に利用するためには、物理学の知見に基づく 更に多くの技術開発が必要だったのです。

また、動画メディアであるテレビと1対1で画像品質を比較するのなら映画ですが、映画の場合も当初から人びとに衝撃と美的感動を与える総合的技芸でした。映画の歴史はリュミエール兄弟を起点に約100年です。

これに対して、わが国で白黒テレビ放送が開始されたのが今から約50年前、当時の映画関係者などからは、テレビは銭喰い虫の電気紙芝居などと厳しい評価を受けたことを筆者は今でも鮮明に覚えています。そして何よりも辛かったのは、同僚であるラジオ放送の関係者から君たちを食わしているのは僕たちだからね!と念押しされることでした。

それから約50年、わが国ではデジタル・ハイビジョン放送が日常茶飯のメディアサービスとなり、画像ディスプレイは100年続いたブラウン管から液晶やプラズマ薄型大画面ディスプレイへと進歩して、映画に見劣りのしない美しい画像(映像)を各家庭に効率よく届けられるようになりました。

筆者の見積もりでは、テレビ工学技術の総合的な進歩評価指数は、10年後ごとに約10倍の進歩であったと考えています。とすると50年では10万倍の進歩ということになります。このうちの何割がテレビ画像の美しさの向上に振り向けられたか?直感的な評価は読者ご自身におまかせします。ちなみに、ネットワークの性能は、この5年間で約100倍向上しました。

テレビやPC+インターネットなどの電子メディアの進歩が何故このように急速なのか? 先を急いで何処へ行こうとしているのか? クロスメディアを指向する関係者にとっては気になるところだと思います。せっかくの機会です。電子画像の『美しさ』を評価するための手法をお話しする前に、電子メディアの急速な進歩の本質的な理由をみておきたいと思います。

1]自然科学と工学技術の協働〜電子メディアの急速な進歩

理由は大きく分けて二つあります。第一は進歩を加速する自然科学と工学技術の持ちつ持たれつのポジテブな関係(協働)です。そして第二は、電子メディア内部で扱う情報が原理的に極めてシンプルな形式であることによって、真空管からトランジスタ、IC、LSI、超LSI・・・・などデバイスの急速な進歩が中核となり、より高度な機能を持ったシステムの実現を強力に後押しするからです。

(1)自然科学と工学技術の協働

電子メディアの基礎は、物理学を中心とした自然科学が担っています。従って、科学の進歩が工学技術の進歩を強力に後押しします。そして更に重要なのは、工学技術の新しい成果が科学研究現場に舞い戻り、物理実験器具や観測と分析能力を飛躍させる、いわゆるWIN・WINのポジティブフィードバック・ループを形成しています。

同じような関係が自然科学・工学技術と数学との間にもありました。ただし20世紀に入ってからは、数学が抽象数学へと独自の道を歩み始めたので、現在では自然科学と論理マシンとしてのコンピュータとの間の関係へと置き換わったのではないかと筆者は感じています。例えば自然科学でも、工学技術でもコンピュータシミュレーション技術は、現在ではなくてはならないものになっています。もっとも、新しい数学の知恵が宇宙の根源的な問題の理解などで将来大きく貢献するかもしれません。

もう一つ重要なのは、自然科学の文化が急速に進化し続けるという文化自体の性格についてです。自然科学者の意見を先に聞きましょう。

自然科学は、自然の中に見つかる現象を、「あるがまま」にみて、その成り立ちを明らかにしていく際に、そのような現象が、いかに(how)起こるのかは明らかにできる、その現象が起こる本源的な理由があるかどうかについては問わない、実験や観測によって、現象が「かくかくしかじか」に起こるということは明らかにできるが、なぜ(why)そうでなければならなのかについては問わない
[桜井邦明:自然科学とは何か〜科学の本質を問う、森北出版(1995.11)]

筆者流に言い直せば自然科学の文化は、「人間が神から選ばれた者であるとか、人間は生物の中で最も優れている存在である」などを基底とする私たちのさまざまな思い込み、すなわち『価値の問題』を遠ざけて可能な限り純粋に合理的に自然の仕組みの理解を進めようとしている学問的な文化です。

自然科学は、科学的に観察し検証できるものにしか答えられません。しかし技術の進歩によって日々観察・検証能力が向上します。従って、科学的に答えを出せる範囲が日々拡大しているのです。

科学者は、新しい事実や理論を発見すると自ら進んでいち早く論文にまとめて発表しようとします。もしそれが多くの他者の追試実験や観測によって正しいことが確認されれば歴史に長くその名誉が刻まれます。

自然科学の文化スタイルは、他者の協働を容易にするようにできています。最近におけるインターネットの効率的な情報交換機能や自動検索機能が益々その特徴を助長させているのです。自然科学では議論が堂々巡りをすることはありません。合理の理論が、まえへ前へと積み上がっていくのです。

(2)電気信号の単純さ

テレビやコンピュータなどの画像メディアであれ、電話やラジオなどの音声メディアでも、情報の伝達は時間に対する1次元の電気物理量変化形式のシンプルな信号によって行 われるという事実です。これはアナログでもデジタルでも本質的には同じです。

デジタル的電子メディアの最初のものはモールスの電信で約170年前、アナログ的電子メディアの最初のものはベルの電話で約130年前のことです。いずれにしても最初は単純 な技術から今日の複雑な電子メディア技術まで自然科学(物理学や心理物理学・・・・)の進歩を基礎として電気工学、電子工学の進展、そして最近では画像工学と一体になって発展してきたのです。

(3)印刷出版の貢献

もう一つ忘れてならない重要なことは、現代につながる自然科学が順調に歩みだすのはヨーロッパで印刷技術が実用化されてからであるという事実です。

例えば、イラン生まれのアラビア物理学者・天文学者・数学者であったイブン・アルーハイサム(ラテン名アルハゼン:965-1039)は10世紀末から11世紀中ごろまで活躍した人です。彼はそれまでのユークリッドやプトレマイオスの視覚論を批判し、現在にもつながる光源から出た光が対象に反射し、その光が目に入って像を結ぶという理論を考えて眼球の構造を提出しました。彼はまた暗箱写真機の原点であるカメラ・オプスクーラを作って視覚の研究に利用したそうです。

アルーハイサムは、『視覚論』と題した本を刊行したそうですが、後にラテン語に翻訳されヨーロッパで『光学宝典』として印刷出版されて、多くの科学者に影響を与えるようになったのは1572年(初版)以降のことだそうです。これが現代の画像評価技術の原点と言えるのではないか、と筆者は考えています。

2]測光・測色科学の歴史〜カラーテレビが美しくなるまで

測光・測色の科学が本格的に動き出すのは物理学者ニュートン(1642-1727)や文豪ゲーテ(1749-1832)の時代になってからです。ニュートンはガラス・プリズムを使った太陽光 線の色分解実験から物体の色が、物体表面の反射特性に依存していることなどを発見して自著『光学(1704)』の中で発表しました。

一方ニュートンからちょうど100年後、ゲーテが自著『色彩学(1804)』の中でニュートンの学説に異議を唱えました。

ニュートンの『光学』では、光は屈折率の違いによって7つの色光に分解され、これらの色光が人間の感覚中枢の中で色彩として感覚されるとしている。ゲーテは、色彩が屈折率という数量的な性質に還元されて理解されることが不満だった。

現代の科学から考えれば、ニュートンの光学的色彩論に対する批判はまとはずれであるが、色彩論においては光学のみでなく感覚に関する研究も重要であることを強調した点は評価される
[Wikipedia:ゲーテ 色彩学を参照]

 

ゲーテは、自らの主観的な色の観察を通して色順応、明暗順応、明るさの対比、色と感情などを重要視したのです。

現代色彩学における測光・測色の原理からすれば、ニュートンは物理学的な考え方の重要性を、そしてゲーテは心理物理学的な考え方の重要性を指摘したという点で、双方あいまって大いなる貢献であった、と筆者は考えています。

次なる色彩学のマイルストーンは、視覚生理学に裏付けられた3原色説の成立です。この業績にはイギリスの物理学者ヤング(1773-1829)とドイツの生理学者ヘルムホルツ(1821-1894)、そして電波(電磁波)の理論を確立したイギリスの物理学者マクスウエル(1831-1879)の3人が重要な働きをしました。

ヤングは19世紀の冒頭において、絵の具の混色実験をヒントに「視神経には赤・緑・青に感じる細胞があって、全ての色はそれぞれの細胞の刺激に応じて知覚される」とする色覚の3原色仮説を発表しました。

しかし絵の具の混色実験では、赤・緑・青の3種類の絵の具を混色して白色を作り出すことはできません。ヤングの仮説はこのような欠点のために学問的には棚上げにされてしまいました。

しかし約半世紀後(1860)、マクスウエルが3台の幻灯機(今日的に言えばスライドプロジェクタ)を使って、赤・緑・青の3色の光による混色実験で見事にヤングの3原色仮説 を証明したのです。そして1868年には、ヘルムホルツが生理学的にヤングの3原色仮説が正しいことを証明して、今日で言う混色原理が成立したのです。

現在では3原色説は、ヤング=ヘルムホルツの3原色説と呼ばれています。また基本的な混色原理には、テレビやパソコンなどの(光による)加法混色、印刷やフィルム写真などの(赤・緑・青の補色による)減法混色が使われています。

以上の歴史的経緯からも視覚における『美しさ』、そして客観評価の手段・手法としての測光・測色には、少なくても心の働きを解明する科学としての心理学(Psychology) 、心理テストによって得られるデータ(心理量)と物理量の関係を研究する心理物理学(Psychophysics:データは心理物理量)、そして物理学、電気工学、照明光学など多くの 専門家の協力が不可欠であることがはっきりしました。

20世紀に入り、測光および測色に使われる標準および定義について検討する国際機構として、1921年に国際照明委員会(Commission International de I'Eclaiage:CIE) がパリで発足しました。

1924年にCIEは、多数の人々の協力を得て各波長の単色光に対する「明るさ」感覚の心理実験を行い、標準的な視感度曲線を確定しました。これによると人間の「明るさ」感覚 は、波長が400nm(青)から700nm(赤)までの範囲で感度を持ち、そのピーク(最も明るい)が555nm(緑)にある釣鐘型の特性をしているのです。そしてピーク値を1.0として正 規化した数値をCIE(明順応)標準比視感度(曲線)と呼ぶことが決定されました。

例えば、人間が感じる「明るさ」(明暗知覚)は心理量です。一方、国際単位系(SI)の基本単位には私たちが日頃使い慣れているメートル(長さ)、キログラム(重さ)、秒(時間)と並んで、カンデラ(光度)が定められています。これは光(電磁波)の放射強度というワットの次元を持つ物理量を、「明るさ」という心理量によって評価したもので、「光度」は心理物理量なのです。そして「明るさ」は、視覚的な「美しさ」の要素の一つです。

人間の視覚は明暗知覚にも関連して色知覚があります。この色知覚を起こさせる光放射を色刺激と呼びます。そして、このような色刺激によって生じる色知覚を3原色などと関連づけて表示する体系を表色系と呼んでいます。色に関する問題を工学技術が取り扱うためには、光源の標準化(標準光源)と共に、表色系の標準化が極めて重要です。

国際照明委員会では1931年の会議において、CIE標準表色系(XYZ表色系)を採択し、これを基にCIEの色度図(XY色度図)や標準光源などが定められました。現在のカラーテレビ放送の色彩設計はこのような知識を基に開発されたものです。

1950年にアメリカのRCA社は、世界で始めての本格的なカラーブラウン管(シャドーマスク型3色ブラウン管)の開発に成功しました。そして当時すでにアメリカ国内でテレビ放送局100局以上、受信機1000万台以上と普及の進んでいた白黒テレビ放送(NTSC方式)と互換性のある世界初のカラー方式の認可を当局(FCC)に申請しました。 これが1953年にNTSCカラーテレビ放送標準方式として決定され、世界のカラーテレビ放送はその後のPAL方式やSECAM方式を含めて現在に至ったのです。

3]電子カラー画像の現在

21世紀に入ると世界は、より画像が美しい統一の取れたデジタルHDTV(ハイビジョン)方式実用化の流れを加速してきました。わが国では2013年7月24日までに、現在の アナログテレビ放送を完全に終了し、デジタルテレビ放送に移行する予定になっています。そしてこの頃までにはブラウン管を使ったテレビ受信機も無くなるのではないでし ょうか。

2006年現在、テレビ受信機やパソコンなどのカラーディスプレイの色再現に関わる国際規格は、カラーブラウン管の標準的な色再現特性に基づいて決められたsRGBと呼ばれる規格が主流です。また、印刷の分野などではこれでは再現できない色があるとしてAdobiRGBなども利用されています。

これに対して液晶やプラズマなどの薄型・大画面ディスプレイが急速に普及し始めています。これらの新しい画像ディスプレイは、ブラウン管よりさらに広い色再現領域を持っています。それを活かしたより美しいカラー画像再現を目指して、わが国からカラーディスプレイの色再現に関する『新動画用拡張色空間xvYCC』として国際電気標準会議(IEC)に提案、2006年1月にIEC61966-2-4:xvYCCとして正式決定となってISOにも登録されました。[参照]新動画用拡張色空間 xvYCC(IEC61966-2-4)

2007年1月現在、『新動画用拡張色空間xvYCC』を採用したハイビジョン受信機や画像ディスプレイが幾つかの国内メーカーから発売されていますが、筆者はこの新しい規格が今後広く普及して行くのではないかと考えています。

もちろんディスプレイの画像の美しさを決める尺度は、色再現能力だけでなくコントラストや解像力など、物理量あるいは心理物理量として評価すべきパラメータが幾つかありますが、ここでは省略するこことして画像評価の有名な古典を1冊紹介しておきたいと思います。 [Otto H. Schade, Sr.:Image Quality〜A Comparison of Photographic and Television Systems, RCA Co.1975]

20世紀終盤には、従来からの印刷工学や写真工学、テレビジョン工学、色彩科学や画像工学などに加えて、情報科学や情報工学、光工学やディスプレイ工学なども台頭して現在に至っています。そして標準化に関しては、国際標準化機構(ISO)と国際電気標準会議(IEC)、世界電気通信連合(ITU)などが協調して統一の取れた活動を実施するようになったのです。

4]新時代の科学と調和ある美を求める工学技術のチャレンジ

現在では印刷や写真も、テレビやパソコンも10年前と比較すると格段に美しくなり、コストパホーマンスも良くなっていると筆者は考えています。しかし今や工学技術は本質的な大きい障壁に直面しています。それは部分最適ができているのに、社会システムや地球システム全体としては調和が取れず美しくないという問題です。

もちろんこれは人類全体の問題であり、単に工学技術の問題ではないことははっきりしています。とは言っても、工学技術として『より調和ある美』を求めてチャレンジすることは極めて重要だ、と考えられています。

(1)日本発、感性工学の創設

2005年8月、日本学術会議で『現代社会における感性工学の役割』と題する報告書が提出されました。ご興味のある方は、[感性工学]をキーワードとしてGoogle検索してください。そうすると検索結果の画面トップでファイルタイプPDF/Adobe Acrobat 70ページの報告書をご覧になることができます。ここでは報告書の要旨を部分引用しておきます。

・物質中心の科学技術がもたらしたものには、高効率生産などの優れた面と、人口爆発、環境汚染、資源枯渇、人心荒廃などの負の側面がある。

・社会は、世界的な競争時代に突入しており、従来の物質科学技術のさらなる発展によって、この競争社会を乗り切ろうとする動きがある。

・しかし、物質科学技術の発展のみでは、新たに出現する解決困難な問題に対応することはできない。大量生産大量消費の生産流通システムは、拝金主義、物質主義の弊害を増大させ、人々の精神的荒廃を示すような社会的状況を生み出している。また、巨大化した製造企業は、生産実体を把握することができず、形骸化して利益を上げることが難しくなってきた。人々の関心は、物の取得の欲求以外に、価値の交換をする欲求に移りつつあるが、これに対する社会的基盤の整備がなされていない。

・従来の工学は、人間の物質取得欲を満たすための科学技術であったが、今後は人間の交換欲求(価値の交換)を満たすような工学が産業・経済・文化を支える科学技術の中心になる。この役割を担うのが感性工学である。・・・・・

現在、感性工学は、次のような多分野で展開されている。(a)感性脳科学、(b)感性素材開発、(c)感性情報工学、(d)感性産業:商品は、人と人とを結ぶ感性価値であり、また感性価値のメディアである・・・・(e)感性教育、(f)感性社会学・・・・

日本感性工学会(Japan Society of Kansei Engineering:JSKE) が創設されたのは1998年10月だそうです。英文の学会名が示すように、日本人が言うところの「感性と理性」の感性(Kansei)を科学して工学に反映させるという意味では日本独自の学会で筆者が知る限り世界に類例がありません。今後大いに頑張ってもらいたいと考えています。

感性工学の基礎となる『美』の概念を、伝統的な自然科学の法則の一つである『エントロピーの法則』を使って理解することが提案されています。ご興味のある方は、[東京大学名誉教授 小竹進著:感性工学の基礎〜美とエントロピー、丸善(2005.8)]をご覧下さい。

(2)新時代の科学に期待する

より調和ある美を目指す見地から、人間の心や文化、動的社会システムなどの科学的理解との関連で、ここでは筆者の独断と偏見でその幾つかをご紹介しておきたいと思います。

まずは、『人間の心とはなにか?』を自然科学的に、もっとしっかりと理解すべきだとする立場です。例えば、『心を生みだす遺伝子』の著者であるゲアリー・マーカスは次のようなことを言っています。

私としては、細胞の世界の仕組みが心の世界を強烈な光で照らすということを、また心の世界は細胞の世界をしっかり捉えることなしには正確に理解することなどできないということを主張したい。

そうでなければ、いつもの本質のない「生まれか 育ちか」の議論に終始してしまうであろう。・・・・・遺伝子の役目は生まれたときに終わるのではなく、人間が生涯にわたって経験から学ぶことができるのもまた遺伝子のおかげなのだ・・・・

現代の分子生物学や神経科学(脳科学)などの立場だといえます。例えば、1947年に組織された脳科学の国際組織(IBRO:International Brain Research Organization)は、世界111ヶ国で約51,000名の神経科学者が組織員となっているそうです。日本ではこれに関係して日本神経科学会(2005.8現在で約4,500名)が活動しています。

アメリカでは神経科学者が中心となり、1992年から毎年『脳週間』を設けて、公開講演や病院・研究所の公開、学校訪問などの公開行事を実施していました。2000年からはIBROやユネスコの後援を受けて、世界各国に呼びかけて『世界脳週間』が実施されるようになりました。わが国では、NPO法人『脳の世紀推進会議』が受け皿になっています。

もう一つは、自然や生命、社会など多数の要素が相互に関係しながら変化していくシステム(複雑系)を科学する複雑系科学の現状です。日本では人工生命や人工株式市場などの話題で一般にも数多く報道されたアメリカのサンタフェ研究所(Santa Fe Institute:SFI⇒複雑適応系の研究)の名前を記憶されている方も居られるでしょう。

英語のWikipediaで[Complex system]を検索するとA4で6ページにわたる説明があります。そして、このページから直接外部リンクできる複雑系科学の研究機関や論 文等が数多く紹介されています。なお、日本語のWikipediaには[複雑系]や[複雑システム]という項目は現在のところありません。

ここで取り上げている複雑系とは、単に複雑な系(システム)のことではありません。例えば、コンピュータは私たちの目から見れば大変複雑なシステムですが、複雑系とは呼びません。コンピュータ内部の要素が膨大でそれらが複雑に絡み合っていても、コンピュータ自体の目的と機能(文脈)に対し、全ての要素がその文脈そった整合性ある機能を発揮するシステムだからです。

Wikipediaでも説明されていますが、[Complex system]に厳密な定義はありません。しかし、幾つかの要件はかなりはっきりしています。興味をお持ちの方はWikipediaをご覧下さい。いづれにしても生命や知能や社会・・・・、いわゆる学際問題の理解を深めるなどで複雑系科学の進歩が大きく貢献できるのではないかと筆者は考えています。

日本国内にも複雑系科学分野の講座を持つ大学や研究機関はいろいろあります。複雑系科学 国内研究機関をキーワードとしてGoogle検索すると約65万件のデータが得られます。

そしてその中のトップには、複雑系科学に関する情報について網羅的に紹介している京都大学情報学研究科複雑系科学専攻のサイトにつながります。また、Google検索結果の同じトップページには、東京大学大学院総合文化研究科の複雑系生命システム研究センターの情報なども出ています。

このような調査を通して筆者が強く感じたことは、一昔前の直接対話と印刷物による情報交換の時代とは異なり、インターネットを介した蓄積交換とロボット検索を伴うマルチメディア型コミュニケーションの普及によって、個々の研究者の思いが容易に伝わってきた、ということです。

そして感性工学の項で述べたような、現代社会(世界)に対する問題意識が多くの研究者で共通していて、工学部門では部分最適から全体最適への意識が強く働いていることが分かりました。

しかし、近い将来新たな科学・工学技術革命がおきて、結果として現在の部分最適型の社会から一挙により調和ある美しい全体最適型の社会へと進歩する、と期待をすることは少々無理があるようです。

(3)早道は、私たちひとり一人が「より美しく生きよう」と自覚すること

調和ある美しい全体最適型社会へ近づくためには、社会の構成員ひとり一人が調和を求めて「より美しく生きよう」と自覚することが何よりも重要です。そのために今現在の科学・工学技術ができることは何なのでしょうか?

  1. 人間の存在と文化理解に不可欠な新しい進化論教育への助言
  2. より実態に即したメディアリテラシー教育への助言
  3. マイパートナーロボットの高度化・高機能化と普及

1. の新しい進化論(Evolution)は、子どもたちに自分とはどういう存在なのか? どう生きるのが美しいのか? を自ら考えさせ自覚させるために極めて重要な論理です。詳しいことは省略しますが、筆者は日本語のWikipediaの『進化論』(A4プリント6ページ)の項目は英語のWikipediaの[Evolution](A4プリント26ページ)なみに充実させてもらいたいと思っています。

皮肉なことに、アメリカでキリスト教原理主義の勢力の強い地域では、今でも義務教育で進化論を取り上げることができない地域があります。キリスト教原理主義以外のイスラム原理主義でも同じことかもしれませんが、人間は神に選ばれた存在で進化論は間違っている、との信念を持つもの同士の歴史的な対立が、戦争やテロの要因となっていることも事実なのではないでしょうか。

幸い日本ではそのような心配はないと思います。積極的に人類の進化とは遺伝子と文化の共進化、と認識することで、人類の未来も見通しが良くなるのではないでしょうか。

重要なことは『進化』は価値とは無関係な、ロングスパンでの生物種の変化を科学的に記述する言葉です。『進歩』とは全く違う次元の考え方です。自らの価値観を一時はなれて自然と人間、そして文化を進化論的に考察することで、私たちが客観的に物事を理解する能力を身につける強固な足場を与えることになるでしょう。

そして、人類の文化全体の中でなぜ科学・工学技術系文化が人文系文化と比較して急速に進化するのか? そのサブ文化としてのロボットの近未来も見えてくるというものです。

2. メディアリテラシーを身に付けるとは、現代の生活者がより美しく生きるために、伝統的な読み書きそろばん的リテラシーと共に不可欠だということです。なぜならば、現代を生きる私たち個人は、前の機会に示した『クロスメディア曼荼羅』の中心に自らが存在して生活を営んでいるからです。 [注]和久井孝太郎 クロスメディア曼荼羅をキーワードとしてGoogle検索して見てください。

しかし残念ながら、メディアリテラシー教育について日本やアジアの各国は後進国です。日本人の大多数は、メディアリテラシーを日頃から活用していないばかりでなく、メ ディアリテラシーとは何か?の問いかけにも殆ど答えることができないのではないでしょうか。高度情報化時代と呼ばれる今日にあっては由々しき問題です。

学校教育も、マスメディアも、真正面からメディアリテラシー問題を取り上げてきませんでした。しかし現在では、Google検索などでも十分な情報が得られます。ただ私たち自身が、その価値を理解できず情報を活用していないのです。

ちなみに、昨年末現在でメディアリテラシーをキーワードとして検索すると約100万件のデータが得られます。そして検索結果のトップページの2行目にWikipediaがでていました。問題の性格上先ずはWikipediaを参照するのも一つの考え方ではないでしょうか。

メディアリテラシー教育の先進国は欧米です。日本語のWikipediaと共に英語のWikipediaを参照されることをおすすめします。この場合は、[media literacy]だけでなく[media education][media studies]でも検索してみてください。

英語が苦手だとおっしゃる方は、キーワード[media literacy] WikipediaでGoogle検索して最初に出てくる項目の[このページを訳す BETA]のタブをクリック、自動翻訳を実行してお読み下さい。いろいろ得られるものがあると思います。大事なことですから億劫がらずに1度チャレンジして下さい。

(4) マイパートナーロボット実用化の夢

今もお話したように、メディアはコミュニケーションの手段であって目的ではありません。強力な手段であるほどプラス面も大きく、マイナスの面もまた大きいのです。メデ ィアは双刃の剣です。コミュニケーションのための極めて強力な手段であるインターネットや携帯電話なども使い方を誤れば、自らに害を及ぼし社会の調和を乱します。[参考:バーチャル社会のもたらす弊害から子供を守る研究会 http://www.npa.go.jp/safetylife/syonen29/Virtual.htm]

また逆に、上手に活用すれば自らが美しく生きるための大きいサポートが得られます。格差社会の大きな要因の一つに、メディアリテラシー問題があることを重要視する必要があります。今や、ネットワークの性能は5年で100倍、記憶装置の密度は年率70%も増加する傾向を見せています。

しかし、科学・工学技術の進歩にしたがって急速に変化するメディア環境に対し、自らのメディアリテラシーを常に最適に保つのは、極めて困難であることもまた事実です。 インターネットや携帯電話を使えないお年寄り、逆に勝手気ままに自己流でそれらを使いまわす子どもや若者たち。

事例としてはやや技術寄りですが、インターネットや携帯電話のセキュリティを自らの手で常に最適化しておくことなど、一般の生活者には不可能なことは誰の目にも明らかです。悪質なサイトからの情報がどんどん飛び込んできます。

皆さんは自覚されていないか知れませんが、現在のパソコンや携帯電話でもマイパートナーロボット的なソフト機能は初歩的ですがインストールされています。まだ私自身は手にとって見ていませんが、Windowsの次世代OSでもこのような機能は現在のWindows XPと比較して進化しているのではないでしょうか。

聞くところによると、アプリケーションやOSの音声コマンド、ドキュメントや電子メールの読み上げなど、利用者の音声に最適化した日本語を含む8ヶ国の言語に対応した[Windows Speech Recognition]なども用意されているとの事です。どんな使い勝手かは、実際に利用してからの話ですね!

また、インターネットの陰に隠れてその姿は私たちの眼には見えませんが、Google社は世界を股にかける巨大な検索ロボットを運用していて、一般ユーザーである私たちはその能力を自由に無料で使っているのです。そしてこれらの検索ロボットは進化をし続けるだろうと思います。

一方、私たち個人の立場からは、自分のために最適化された検索ロボットが必要になることは明らかです。しかしそれは、お店で売っているものを買って来て、そのまま使い続ければ良いというものではないのです。

検索ロボットなどのソフト的なロボットに限らず、マイパートナーロボットとは、私とコミュニケーションし、私と共に成長し続けていくような仕組みになっていなければなりません。当然のこととして、私がどのような物事が美しいと考えるのかは、ロボットと私のコミュニケーションの中で育んでいくことになります。

幼児期にあっては、ベビーシッタ役のロボット、学童や生徒の時期では家庭教師、社会人になっては電子秘書役、そして熟年では話し相手・相談相手や介護ロボットとしての役回りを期待しています。

わが国の総務省がU-Japan政策として推進している『2010年ユビキタスネット社会の実現』とは、そのようなことが現実のものになる社会であって欲しいと願っています。

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2006/12/12 00:00:00


公益社団法人日本印刷技術協会