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偉大なる小芸術家、W.モリスの全完本展

モリサワ・タイポグラフィ・スペース(東京・飯田橋)において、4月10日から5月31日まで(日曜および4月29日から5月6日は休館)、ウイリアム・モリスのケルムスコット・プレス全完本の展示が行われている。

展示作品は、1891年、モリスが57歳のとき、ロンドン郊外のハマースミスに設立したケルムスコット・プレス社で製作された作品53タイトル、66冊のほか、モリス自筆の装飾頭文字デザイン、装飾枠図案、スケッチなどである。世界的に有名な「チョーサア著作集」をはじめ、シェイクスピア、ダンテ詩集、モリス自作の詩集などが、豪奢な装幀ともども、いささかも美観を損なうことなく、完全な体裁を保っている。

初日に記念講演を行った慶大文学部の高宮利行教授によると、モリスは1888年、54歳の年に、エマリー・ウォーカーの印刷活字に関するスライド講演を聞いて、出版・印刷に関する啓示を受けたという。

ロンドン郊外の富裕な証券仲買業者のもとに生まれたモリスは、一時は画家を目指したが、1861年、美術工芸家として、自身がデザインあるいは製作したステンドグラスや家具、刺繍、壁紙や織物を販売するモリス・マーシャル・フォークナー商会を経営するなど、小芸術分野を自ら提唱・実践した。

その一方で、元来、古典文学に造詣が深かったことから、1870年に「ヴォンス・サガ」の英訳を刊行するとともに、このころからカリグラフィー(レタリング)を用いた装飾写本作りに傾倒しはじめた。その経験が、ケルムスコット・プレスの礎となっている。

モリス自身の生活は、父親の残した遺産を年に900ポンドほど(現在の価値にして、およそ2000〜3000万円)得ていたというから、富裕であったことは間違いないが、青年期から多くの影響を受けたラファエル前派同盟の画家であるダンテ・ゲイブリエル・ロセッティと、モリスの妻ジェーンとの三角関係など、陰陽を併せ持った生涯だったといえる。

「チョーサア著作集」は、フォリオ/2折判(35×22センチ以上)という判型で、手漉きのパーチ紙(豚や羊の皮を使ったもの)に、自らのデザインによる活字チョーサー・タイプおよびトロイ・タイプが用いられ、赤と黒の2色刷り、さらに、19歳でオクスフォード大エクスター・カレッジに入学したころからの友人であるエドワード・バーン・ジョーンズによる87点の木版挿絵入り、背麻布・青厚表紙装(このうち48部はモリスのデザインにより、ダウズ製本所で製本された豚革装)である。紙刷りは20ポンドで、425部製造、仔牛皮を用いたヴェラム刷りは、120ギニー(21シリングに相当するイギリスの昔の通貨)で、13部のみ製造された。(展示物は、ダウズ製本所の得装本)

モリスは、あくまでプライベートプレス(自らの管理のもと、すべて手作りで丁寧な仕事をする)の信念を貫き、当時、輪転印刷が主流になっていたにもかかわらず、手引き印刷にこだわったという。モリスの生涯と小芸術家としてのこだわりが、ケルムスコット・プレスの全作品に滲み出ている。

モリサワ・MOTS http://www.morisawa.co.jp/gallery/MOTS/mots_currj.html

2001/04/12 00:00:00


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