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印刷産業の現在,過去,未来 (その2)

■ASIA FORUM
第6回シンガポールFAGAT(2002年)
日本講演レポート

March 20, 2003

社団法人日本印刷技術協会 常務理事・山内亮一

【データ検索】
(1)印刷の高度成長から成熟化、市場縮小の軌跡
(2)カラー化、多品種・小ロット化がもたらした高度成長(図13)
(3)中堅総合印刷会社の売上原価構成(図14)
(4)プリプレスの付加価値の消滅(図15)
(5)世界共通の流れ

経済発展と技術の変化が印刷産業に及ぼす影響

印刷産業の高度成長から成熟化に至る軌跡を日本経済および技術の変化との関連で分析し、印刷産業の成長基盤を明らかにする。

【印刷産業の過去を振り返る】

(1) 印刷の高度成長から成熟化、市場縮小の軌跡

日本の印刷産業の出荷額は、統計が取られ始めた1995年から1991年までの36年間、一度もマイナス成長をすることなく伸びてきた。この間に、印刷産業の出荷額は99倍、事業少数は3.9倍、従業員数は3.0倍になった(図11)。1970年〜1990年までの20年間における印刷産業の出荷額のGDP弾性値(印刷産業の出荷額伸び率/GDP伸び率)は1.2であり、印刷産業は日本経済全体の伸びを上回って成長した。
図12は1955年から1995年までの40年間を5年単位で区切り、各5年間における需要と供給のバランスと印刷産業の事業所数の変化を付け合わせてみたものである。1985年までは、常に需要の伸びが供給力を上回っていた。既存の印刷会社が努力して生産能力を高めても、伸びる需要を満たすことが出来なかった。その需給ギャップを埋めたのが新たに起こった製版印刷会社であり、この期間に印刷産業の事業所数は急増した。
しかし、1980年代後半(1985年から1990年)には、需要と供給力の伸びがほぼバランスし、既存の製版印刷会社の生産力が伸びる分で、拡大する需要を十分に満たせるようになり、印刷産業の事業所数はほぼ横ばいで推移した。この時期の需要の年平均伸び率と供給力の伸び率は7%強である。このことは、高度成長期に4倍も増えて46000にもなった印刷会社の全てが皆ハッピーであるためには、年率7%強の市場の伸びが必要であるということを意味している。技術の進歩は、供給力を年率7%以上伸ばすことを可能にするが、成熟化した日本のGDPが年率7%で伸びることは、バブル経済後の経済不振とは関わりなく、誰も予想することのない水準である。したがって、1990年代に入ると、需給バランスは逆転し、事業所数は6000事業所(13%)減少した。 図12に見られる日本の印刷産業の高度成長から成熟、そして縮小への変化の背景はどのようなものであったのだろうか?

(2)カラー化、多品種・小ロット化がもたらした高度成長(図13)

図13は、1970年を基点とする製版印刷複写用フィルムの出荷販売量と凸版・平版インキ、および印刷用紙の出荷販売量の推移を示している。1970年以降、製版印刷複写用フィルムの出荷販売量が紙やインキの倍以上伸びていたことがわかる。1970年から1990年までの20年間で見ると、紙の出荷販売量は2.3倍、インキの出荷販売量は2.8倍とそれなりの伸びをした。しかし、製版印刷複写用フィルムの方は実に7.5倍伸びていた。それは世の中全体のカラー化に沿って、プリプレスの仕事量が印刷の倍以上伸びたことを示している。たとえば、100世帯当たりのカラーテレビの保有台数を見ると、1966年には数台であったものが1969年には20台を越え、1974年には100台を越えた。われわれが撮影する写真もカラーとなり、オフ輪が新聞折込チラシの一般的生産設備として使われ始めたのは、1970年代に入ってからである。

カラー需要の増大は、プリプレスの加工度を上昇させた。カラー物であれば、まず色分解が必要となり、フィルムの使用量もモノクロ印刷物の4倍、版の使用量も4倍になる。したがって、インキ、紙の使用量増加を上回るフィルム使用量の増加があるのは当然である。1980年代に盛んに言われたことは、多品種小ロット化である。多品種小ロット化も当然のことながらフィルムの使用量を、紙やインキの使用量以上に増加させる。1点の印刷物を10000枚印刷するのと、印刷枚数は10000枚であっても、それが5000枚ずつ2点の仕事であれば、フィルムと版の消費量は2倍になる。そして、それらは全て顧客への請求書に代金として反映されて売上を比例的に押し上げていった。

(3)中堅総合印刷会社の売上原価構成(図14)

図14は、地方都市にある100名規模の典型的な総合印刷会社における1994年時点における工程別売上原価の構成比である。当時、同社ではカラースキャナーを持ち,電算写植機を持ち、印刷工場には枚葉4色機、2色機,単色機があり、さらにフォーム輪転機と簡易製本機も保有していた。また、別の建屋にはタイプと軽オフのラインを持っていた。つまり,典型的な地方都市の総合印刷会社である。
そのような印刷会社の売上原価構成は、図14のとおり、版下が10.7%、製版が25.4%であり、プリプレス工程の売上原価構成比は36%であった。これに対して、印刷の加工賃としての構成比は12.4%で、プリプレス工程の構成比の1/3に過ぎなかったことがわかる。

図13の製版印刷材料の資料はマクロ的な面から、また、図14の印刷会社の売上原価の構成比のデータはミクロ的な面から、1970年代以降の印刷産業の成長が、印刷需要のカラー化、多品種小ロット化にともなうプリプレスの仕事量、加工度の拡大によるものであったことを示している。1970年〜1990年の20年間における印刷産業界の成長の7割はプリプレスの加工度の高まりによってもたらされたものである。このプリプレスの仕事量、加工度の拡大がなければ、1970年から1990年までの20年間における印刷産業出荷額のGDP弾性値が1.0を越えることはなかったであろう。

(4) プリプレスの付加価値の消滅(図15)

1991年以降、日本の印刷産業は2回の景気の山谷を経て、その市場規模は9000億円、約1割減少した。
図15は、日本の印刷産業の3つの出荷額の推移を示している。「名目出荷額」は、工業統計産業編における印刷産業、つまり印刷業,製版業,製本加工業、そして印刷関連サービス業の出荷額合計の推移である。ただし、2001年分は、JAGATの推計値である。「実質出荷額」として示してある出荷額は、製版印刷フィルムと印刷インキの出荷販売量をベースにJAGATが推計したもので価格変動要素を排除した出荷額を表すものである。したがって、「名目出荷額」と「実質出荷額」との差は価格変動分を表す。

そこでこの両者の推移を見ると、1975年以降1992年まではほとんど同じように変化してきたが、1993年から差が出始め、その差は1997年まで拡大したことがわかる。名目出荷額が実質出荷額を下回っているから、製版印刷価格が下がったということである。これは、日本経済が成熟化して印刷需要の伸びが鈍化する一方で、加速度を増す技術の進歩によって、供給力がさらに速いスピードで拡大して供給力過剰が常態化したためである。たとえば、2年前に4台のオフ輪を持っていた印刷工場が、古くなった1台のオフ輪を新しいオフ輪に入れ替えた。この新しいオフ輪の生産性は、古いオフ輪に比べて60%高いものであった。したがって、このオフ輪の入れ換えだけで、この工場の生産性は全体として15%も向上したことになる。しかし、需要の伸びは、景気のいいときでも3%に満たないものであり、中長期的には横ばいから減少に向かっている。もし、この会社が、拡大した生産能力をフルに生かそうとすればどのようなことが起こるかは明らかである。
2001年における名目出荷額と実質出荷額の差は1.6兆円になっている。つまり、1993年以降、製版印刷価格は2割弱下がり、それによって1.6兆円の価値が失われたことを示している。注目すべきことは、実質ベースの出荷額がこの数年は横ばいで推移し2001年にはやや減少に転じたことである。それは、プリプレスのフルデジタル化、CTP化の急速な進展によるものである。

日本の印刷産業におけるプリプレスのデジタル化は、1993年半ばから統計データでも把握できる程度の普及が始まり、1996年までにDTPが徐々に業界に普及していった。この間、印刷産業界における印画紙の消費量は減少したが、製版印刷複写用フィルムは幾分増加していた。それは、この期間がDTP普及の第一段階であり、版下制作までのプロセスがDTPでなされるようになったということである。
しかし、1997年以降は、印画紙、フィルムの出荷販売量がともに急速に減少し始めた。1997年は、たとえば東京都印刷工業組合傘下印刷企業のMac保有比率が5割に達した年であり、以降、DTP導入が遅れていた企業での導入が急速に進んだ。同時に、先進的企業では1997年あたりからフルデジタル化の動きが始まり、さらにCTP化へと向かった。
日本の印刷業界におけるCTPレコーダーの設置台数は、1999年末時点で200〜300台、2000年末時点で500台を越え、2001年末で900台を越えたと見られる。そして、2002年に入ってからのCTP導入は、各ベーダーの予想を越えて進んでいる。
以上のような印刷業のフルデジタル化からCTP化のなかで、図13に見られるように、製版印刷用フィルムの出荷販売量は、2001年までの4年間で32.9%減少した。それは、プリプレス工程の工程短縮によるものであり、アナログ時代に顧客に請求できた「版下代」、「分解代」、「集版代」といった売上項目が無くなり、プリプレスにおける加工売上が著しく減少したこを意味している。1970年代、1980年代における印刷産業成長の最大要因が、技術の進歩によって今真に消滅しつつある。

以上のように、プリプレス工程は大きく変化したが、平版インキの出荷販売量は40%以上増加していた。年平均に換算すると5.0%増という高い成長である。印刷情報用紙も8年間で1.17倍、年率換算では2.0%/年でその出荷販売量は増えていた。つまり、印刷物の量、印刷の仕事は増えていたということである。
図15の印刷産業の3つの出荷額の一つとして「プリプレス補正」とした出荷額がある。これは、フルデジタル化、CTP化が起こらず、従来の版下作成、色分解、集版といった作業に対する対価が売上として計上できていたとすれば、印刷産業の出荷額がどうなっていたかを計算したものである。1996年以降の平版インキの出荷販売量等を基準に推計したが、 その結果、2001年の印刷産業の出荷額は12.4兆円と計算された。この出荷額と実質ベースの出荷額の差は2.7兆円である。日本の印刷産業においては、プリプレスのデジタル化を進めた結果、5年間で2.7兆円の付加価値が失われたということである。 この価値の消滅は、日本経済の状況とも、印刷産業の過当競争とも関わりのないことであり、プリプレスのデジタル化が進めばどの国でも起こることである。

(5)世界共通の流れ

経済の成熟化と技術の進歩による供給力過剰、およびプリプレスのデジタル化による付加価値の減少、消滅が印刷産業にマイナスの影響を与えるということは、好況に沸いていた1999年代半ばの米国の印刷業界でも見られたことである。
図16は、「U.S. Industrial and Trade Outlook 1998」による米国の印刷産業の1992年から1998年までの出荷額推移である。1995年以降の米国の印刷産業は5%を越える高い成長を遂げており、1998年はやや伸びが鈍るものの4.7%の成長を遂げていた。1992年から1997年までの5年間の年平均伸び率は4.9%であった。しかし、この間のGDPの年平均伸び率は5.6%であるから、印刷産業のGDP弾性値は0.85である。
ちなみに、実質ベースでの出荷額推移(図17)を見ると、1992年から1997年までの年平均伸び率は1.3%であるが、これは米国における人口増加率に近い数字である。
デジタル先進国である米国の印刷業界の動きで気になるのは、デジタル化によって、紙媒体が減少しているのか、という点であろう。
印刷・筆記用紙の推移を見ると、1992年以降の5年間、年平均2.6%と順調に伸びていることがわかる。ネットワーク、電子商取引普及の時代を迎えても、紙の消費量は落ちていないし、印刷・筆記用紙の伸びは印刷産業の実質ベースの出荷額の伸びを上回っていることがわかる。 紙の需要と印刷需要との関係を見るために、印刷筆記用紙1単位当りの印刷付加価値額(印刷産業の出荷額/印刷筆記用紙の生産量)を見ると、1997年で1キロ当りUS$3.0である。年度推移を見ると、1992年の3.2ドル/キロが1997年には3.0ドル/キロで、6%程度下がっていることがわかる。印刷産業のGDP弾性値が1.0を下回ると、印刷業が紙に載せる付加価値が減少していくという状況は日本と全く同じである。
つまり、経済が成熟化する一方で技術進歩によって需要を上回る供給力の増大が起こり、さらにプリプレスのデジタル化が進展する中で印刷産業に起こることは、紙媒体の需要は増加するが、印刷産業が紙に乗せる付加価値は減少し、印刷産業の出荷額のGDP弾性値は1.0を下回るようになるということである。
このような中で、少なくともプリプレスの仕事を専業としてきた日本の製版業はその存立基盤を失いつつあるし、プリプレスのベンダー業界にも大きなインパクトを与えつつある。

【その1】

2003/03/18 00:00:00