DTPの過去・現在・未来 その5
1997年7月31日T&G研究会ミーティング「DTPの発展を検証する」より (社)日本印刷技術協会 理事 小笠原 治
欧米では1988年には、写植機の4大メーカー社であるライノ,モノタイプ,バリタイパー,コンピュグラフィック(後のアグファ)が,皆PostScriptのイメージセッタに変わってしまい、レイアウトシステムの新製品は専用ワークステーションよりもパソコンやUNIXのDTPソフトウェアの方が上回るようになった。
その頃のAdobeは会社は小さくとも(200人くらいだったか?)破竹の勢いであった。仕事は機敏ですばやく、1987年に日本語についてはモリサワと契約し1988年には日本語PostScriptプリンタが発売された。一気呵成にDTP時代になるのではないかという見方もでてきたが、新興Adobeを押さえつけようという力も日増しに強くなってきた。
例えばPostScriptは商売になるので,Adobe以外のクローンRIPが出てくる.アドビと契約するのにお金が取られるとか,AdobeはOEM採用側の思ったとおりに言うこと聞いてくれないとかで,ハイフンを代表にクローンRIPを商売にするところが多く出てくる.
またAdobeはPostScriptで使うフォントをほぼ独占的に売っていたので、第3者はライセンスがなければPostScriptの出力システム上に自分でフォントを自由に作って入れることができない.PostScriptは仕様がオープンなのにType1フォントの仕様はクローズドだった。例えば,利用者が過去に制作した書体があって,それを自分でアウトライン化してイメージセッタに入れたいと思ってもできなかった.そこで,アドビはフォントを全部独占するのかという議論が起こった.
NeXTコンピュータはAdobeのDisplayPostScriptを組み込んだOSを使うことで、画面もType1アウトラインフォントによるWYSIWYGを実現したが、パソコンであるMacやWindowsはアプリケーションレベルではアウトラインフォントは使えても、OSレベルではアウトラインフォントが使えなかった。DTPのQuarkが独自にフォントの画面用レンダリングソフトを開発するほど文字のWYSIWYGを熱望していたが、パソコン会社側からすると、プリンタはAdobeに牛耳られ、今度はコンピュータの表示までAdobeのDisplayPostScriptに牛耳られるのかという思いで反Adobeの結束が強まっていった。
AppleはDisplayPostScriptと契約せず、ロイヤルというアウトラインフォント技術を独自開発した。MicrosoftはPostScript互換RIPの開発や評価をしていたバウア社を吸収した。両者が技術をバーターすればAdobeの技術なしに画面およびプリンタのWYSIWYGが可能になるとして提携して発表したのが、フォントのTrueTypeおよびRIPに相当するTrueImageで、どちらのOS環境でも使えるものであり、仕様はオープンなものにしようとしていた。
しかしこの1988-89の時点では、利用者には相当AdobeのPostScriptを使った印刷制作は浸透していて、開発側もPostScriptを対象に仕事をしていたので、これとは別にDTPの標準技術が出来ることに困惑を示していた。1989年の春から秋には「フォント戦争」と呼ばれる大激論大会が繰り返され、慌てたAdobeはType1フォントの仕様書をSeyboldの会議で参加者全員に配り、技術情報を公開した。
またTrueTypeのリリースに先行してMacやWindowsで使えるATMをリリースし、PostScriptプリンタがなくてもType1フォントが使えるように道を拓いた。これは思惑どうり成功し、Type1フォントは爆発的に増えていった。しかしTrueTypeが負けることはなかった。なにしろATMは別途買わねばならないが、TrueTypeはOSにタダでついてくる。最初はType1はプロ用で、TrueTypeは品質がもうひとつという違いがあったが、やがてPostScriptRIPにもTrueTypeをレンダリングする機能がつき、次第に差は消えていった。
フォント戦争の時はどちらが技術的に優れているがという議論もあったが、それは問題ではなくなった。しかしAppleとMicrosoftの関係は1991年になると冷えていき、MicrosoftはTrueImageには新規性がないとしてリリースを止めてしまった。これでPostScript互換環境がOSとともにタダで普及することはなくなった。AdobeはDTPというPostScriptの牙城を守ることはできたが、OSのWYSIWYGに食い込むことはできなかった。DisplayPostScriptという大きな野望は潰えて、Adobeの発展というのも限界が見えたかのように思われた。
その1 DTPの発展を振り返る DTP前史 1980〜1984
2000/05/28 00:00:00