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変わるコンテンツの価値評価

ケータイ小説の人気と、それを元にした書籍出版が好調なことは、今まで電子書籍とか電子出版の努力がなんだったのかと考えさせられるほど、大きな課題を突きつけられた気がする。ケータイ小説を今までの文芸家の作品と比較してどうこう批評することは易しいが、現状ではビジネスとしては完全に文芸家が負けているわけで、このギャップを説明できなければならない。

以前に「『不良』のための読書術を指南」しておられる永江朗さんから、コンビニという本の流通ルートができたことで、暴走族雑誌やら女性向けH系出版物が出た話を聞いたことがある。それとあわせて本屋を避ける若者も読者になる可能性を伺った。このこととケータイ小説は関係していて、本の世界と別の場を舞台にしたからケータイ小説は伸びたのだろう。字を読む客層がどこにどう居るのかを考え直さなければならない。

それまでも既存の文芸家の短編などをモバイル向けに配信することはさんざん行われてきたが、新たなジャンルを切り開くところまではいかなかった。逆に見るならば、過去の電子出版・電子書籍は、本屋に来る人の中から、さらにデジタルの方を好む人をターゲットにするような、マーケティング的に無理をしていたのではないか。コンテンツは王様、コンテンツありき、とは出版界の常套句であるが、著作物としての価値とは別に商業的価値を出版界はどう考えていたのだろうか。

デジタルとネットで出版の参入は非常に容易になった。サイトのアクセス数やページビューは商業的価値を考えるのに有効な指標であるというのはどの商材でも同じだ。紙の出版物は今後とも有効であるが、従来は著者や出版社のブランド力でコンテンツの値打ちが決まるとでもいうような価値評価であったために、大衆ニーズとはねじれがあってマーケッティングがうまくできなかったのかもしれない。

たまたまケータイ小説とかコンビニ本は出版流通からはみ出ていたコンテンツを載せることができたが、ネットではこれら以外にもSNSや動画投稿・コメント共有などの多くの擬似情報流通が生まれているので、メディアのビジネスは出版の枠をはずしてコンテンツをもっと幅広く見なければならない時代に来ている。

クロスメディア研究会会報223号より)

2008/02/02 00:00:00


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