DTPエキスパート四半世紀・・・資格制度事務局奮戦記(1)

掲載日:2017年4月21日
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JAGATは来る5月10日の創立記念日で50周年となる。DTPエキスパートのカリキュラム初版を発行したのは1993年で、JAGATの設立から26年目であった。したがってJAGATはその歴史の約半分をDTPエキスパートと共に歩んできたことになる。

「DTPエキスパートカリキュラム初版」に基づき、1994年に第1期認証試験を実施して以来、年2回の試験を継続しており、これまでに5万人を超える受験者と2万人以上の有資格者を輩出してきた。日本におけるDTPの導入から普及、発展とともに受験者は増え続け、ピークの2002年には年間で5000人近くまでに達した。今や業界でDTPエキスパートを知らない人はほとんどいないであろう。

試験スタートからの約10年、JAGATでDTPエキスパートをハンドリングする資格制度事務局は、ダイナミックに変化するDTP環境と拡大する受験者に対応すべく東奔西走したものだ。そして、一方では資格に対する無理解や偏見、誤解との戦いでもあった。
間もなく四半世紀を迎えるDTPエキスパートを振り返り、徒然に事務局奮戦記を綴ってみたい。かなり微妙な事柄も含まれるが、すでに時効ということで笑って許していただきたい。

◆資格制度事務局の一番つらい日
DTPエキスパート第1期試験(1994年3月)には149人が挑んだ。以後受験者数は増え続け3年目の第7期試験(1997年3月)では初めて大台に乗る1071人となった。受験者が拡大していくことは「DTPエキスパートカリキュラム」の普及、すなわちDTPに関する正しい知識が業界に浸透していく、という意味においてJAGATの役割からしても非常に喜ばしいことであった。
しかし、受験者が増えれば増えるほど、事務局には様々な問い合わせが寄せられ、その対応に「てんやわんや」となることもしばしばであった。

そして、事務局にとって電話対応において最もつらい日が、何を隠そう合格発表の日なのであった。つまり「何で不合格になったのだ?」「どこが悪かったのか?」といった言わばクレームが集中する日であったのだ。
当然のことだが試験の採点は厳正・公平に行われ、第三者による認証委員会の合否判定承認を経て受験者にお返しするものである。したがって、事務局としては合否結果について説明を求められても「お返しした結果通知がすべてです・・・」としか言いようのないものである。
はたして入試に落ちた人がそのようなことを学校に問い合わせるのものなのであろうか?と、疑問を抱きつつも、世の中にあまたある資格試験の事務局も同様な対応に頭を悩ませ、困っているのであろうと自らを慰めつつ電話に出るのであった。

筆記試験の採点はマークシートを機械が読み取るものなので、文句を言う人はまずいなかったが(それでも「わが社で一番優秀な人が落ちたのはなぜだ!」と理不尽なことを言ってきた上司の人もいたが・・・)、課題試験の結果が納得がいかないと大変である。正解不正解を○×で採点するものではないので理解しにくいのはわかるが、「自分では最高の作品を作ったのになぜだ」「うちの会社ではこれでOKだから不合格では困る」「そもそも問題がおかしいのでは・・・」等々。本当に困ってしまった。

仕方がないので「課題試験は落とす方向で採点はしておらず、不合格にするためには複数の採点官が不可と判定しなければならないのだ」と採点方法と経緯だけをを説明するも理解してくれない。「どこが悪くて落ちた?」と言われても、通信教育じゃあるまいし、個々の採点結果について解説できるものではない。むしろそれをしたらある意味他の受験者に対して不公平ということになる。

結局「では合格にしましょう!」とでも回答しない限り納得しないのだから、電話口で延々2時間。ついに出ました「責任者を出せ!」。さらには「JAGAT会員を辞めてやる」とまでも。
冗談ではなく、このようなことが結構あったのだ。

DTPエキスパートの浸透とともに、現在ではこのようなクレームは無くなって来たが、合否結果はその人にとって人生を左右するくらいにに大きなことなのだと、事務局としてさらに身を引き締めて採点等を含め受験者対応を心掛けなければと思ったものである。実際、その後結果通知において、課題採点結果もどの要素で落ちたのかがわかるような形式にするなど改良を重ねてきた。
不合格に対するクレームも今となっては貴重な意見を頂戴したと思っている。

もちろん、合格した喜びの声も多々頂いた。別に事務局が感謝される筋合いのものではないのだが、指定講座(JAGATが指定するDTPエキスパート認証試験対策講座)を展開していたあるディーラー社から「長年商売をしてきたが、お客さんにこんなに喜んでもらえたのは初めてだ」を言われたことは今でも覚えている。(つづく)

(CS部 橋本 和弥)