ハードからソフト・人材へ[DTPエキスパート認証制度]
いよいよDTPが主流となる
DTP が主流となり始めたアメリカでの動きを受けて、1994(平成6)年2 月開催のPAGE94ではDTPを真正面から捉えようと「JAGAT DTP Conference」を開催した。同時期にスタートしたのが「DTP エキスパート認証制度」である。DTPの進化は速く、電算写植やトータルスキャナーのようなプリプレスシステムは1997(平成9)年頃を境に衰退の一途をたどった。
このように変化の速い技術と常に歩調を合わせ、情報のアップデートができる制度にするため、有効期限を2 年とし、更新試験によって資格が維持されるものとした。名称もポピュラーなものは避け、新しい技術知識をもち顧客・デザイナーを含めた印刷現場をリードできる「専門家」という意味を込めて「DTPエキスパート」と命名した。
DTPの教育をどうするのか
DTP が世界の本流となることを確信しても、1バイト言語の世界とは違い、漢字・ひらがな・カタカナ・数字・ローマ字を利用する日本語の世界では、コンピューターの処理能力の問題だけでなく、使えるフォントがほとんどなかった。1987(昭和62)年にモリサワがアドビと日本語PS フォントの開発契約をしたが、環境が整うまでには数年のタイムラグがあった。Illustrator 3.2J、QuarkXPress 3.1J、そしてヒラギノなどが出そろい始めてからやっと日本語DTPの本格稼働が始まった。
フォントの充実とともにDTPは急速に進歩し、実用レベルに達しつつあった。しかし、制作現場には様々なノウハウやTIPSが存在し、ハード・ソフトの未熟さや知識不足ゆえのトラブルに対応していたのが現状だった。DTPが印刷物制作の本流となるためには、標準化された知識の普及を急ぐ必要があった。そのためには、DTPというオープンシステムに相応しい、オープンな情報を基にした教育が必要であった。
そこで、1992(平成4)年から翌年にかけて日本のDTP先駆ユーザー30社ほどにヒアリングし、「どのような勉強をすればよいか」というアンケート調査を行った。そこから得られた結果は大変有用なもので、この調査結果を厳密に整理し、各種資料を精査し裏付けすることで、教育カリキュラムになると確信した。
教育カリキュラム開発のために、欧米のDTPに関する書籍を可能な限り集め、精査した情報から編集作業を行った。しかし、DTP技術の多くは欧文組版がベースになっているので、日本固有の組版技術に関しては役に立たなかった。製版(画像)の考え方も同様であった。当時のプリプレス技術は写植分野と製版分野の技術交流がほとんどなく、どちらにも詳しい人材が少なかった。関心はあっても簡単には取り組めなかったのが当時のDTP 技術であった。
1993(平成5)年に発行した第1 版の「DTPエキスパートになるためのカリキュラム」では、写植と製版の両方の知識をもち合わせる人、またはそれを必要とする立場の人を想定していた。この時点でカリキュラムをすべて理解できる人は極めて少数で、DTPエキスパートと呼べる人は、日本には200名程度しかいないとさえ考えられた。アメリカではデザイナーや編集者がDTPの主たるユーザーであり、日本での普及を考えるなら、従来の印刷業界の枠にとらわれた発想から転換していかなくてはならなかった。
時代の変遷とカリキュラム改訂
「DTPエキスパートカリキュラム」は、印刷物制作に関わる立場の異なる人々がスムーズに共同作業ができるように、共通の知識体系として発表したものである。理想は完全カラーDTPであったが、まだ現実はOPI(Open Prepress Interface)などCEPSの併用もあり、初版のカリキュラムでは従来製版も含め2つの道を示していた。
カリキュラムは2年ごとに改訂する方針で、進歩の速い技術に合わせていくこととした。カリキュラム改訂は、そのままDTP環境の変化の歴史に重なる。1996(平成8)年の第2版では従来の「写植」「製版」の分類をなくして「グラフィックアーツ」としてまとめるといった大きな改訂を行った。
1998(平成10)年第3版では「よいコミュニケーション、よい制作環境、よい印刷物」の3つのキーワードを基本に大きく改訂した。プリプレスに限定するのではなく、発注者側のデジタル化ともうまくつなげて、共に負担を減らして印刷物を作り、さらに電子媒体を活用してコミュニケーションを図ることをDTPエキスパートの務めとした。これはマルチメディア、Webやオンデマンド印刷への業務拡大範囲の動向を反映させたものであった。
電子メディアの制作パフォーマンスが向上するのに比して印刷物制作が効率化しないと、印刷需要そのものの低減につながる。2002(平成14)年の第5版では、DTPでもパフォーマンス向上のための制作管理能力と、個別知識でも科学的なアプローチができることを主眼に見直しを行い、3つのキーワードに「高いパフォーマンス」を新たに追加した。
デジタルカメラをイメージキャプチャーの中心に据え、RGB入稿、ICCプロファイルによる色変換、PDF/X、CTP、Japan Color という流れで安定的に制作ができる体制が固まったことを受け、2004(平成16)年発行の第6版では、これらに関する項目の変更、追加を行った。
第7版を発行した2006(平成18)年頃には、インターネットの普及による著作権問題や、コンプライアンスに対する関心が高まり、知的財産権や個人情報保護法の項目が加えられた。2010(平成22)年の第9版では、初めて「電子書籍」の基本的知識や照明光源知識としての「LED」が取り上げられた。
2014(平成26)年の第11版からは、試験の新カテゴリー「コミュニケーション」が加わった。多様なメディアを効率的、効果的に作り上げていくのに必要なコミュニケーション能力が、DTPエキスパートにも求められる時代になったということである。
2017(平成29)年時点で最新のカリキュラムは第12版(2016年)だが、この先もDTPエキスパートの役目と方向性を明確に示すためにもカリキュラムの改訂は続いていくことになる。
学ぶ風土を生んだ認証制度
アナログ時代の経験や知識を活かしながらも、DTPという従来とは大きく異なる技術を一から学ぶ印刷界の人、コスト削減に魅かれて学び始めた印刷周辺分野の人、Macintoshに憧れ、新たな技術に興味を抱く人など、これらすべての人々を巻き込む「魅力ある学びの環境」こそが「DTPエキスパート認証制度」である。
合格者の中から、本人の了解のもと資格登録リストを作成し広報活動にも力を入れた。色やデータ作りについて「相談できる人」として氏名・社名・プロフィールや講師・執筆など活動可能な範囲を広く公開することで、新しいリーダーとしての活躍を願った。
初期の頃は先駆的に取り組んできた一部の企業や個人、出力センター、メーカー、デザイナーの人たちが「混乱を終息させ、解決へ導く」先生役を果たしてくれた。まさに印刷技術を取り巻く新リーダーの出現であった。
また合格者同士のコミュニティとして、相互に交流、研鑚を進める主旨の任意組織「DTPエキスパートクラブ」も発足した。東日本と西日本の2つの組織に分かれ、定例会を開催した。
DTP人材の裾野が広がり始めたのがスタートから7~8年ほど経ってからである。少しずつ知名度が上がってくると印刷業界とは全く縁のない、若い未経験の受験者が増え、全体の半数近くを占める時期もあった。専門学校やDTP受験指定校で勉強して新たにDTPの世界へ入ってきたのである。
製版・印刷業界でも、直接DTP業務には関係のない経営幹部や社長が先頭に立って受験に挑むケースもあった。2000(平成12)年を過ぎた頃から、現場の技術者やオペレーターより営業担当者にこそこの知識を活かすべきだと経営者が気づき、営業も含め人事・教育システムとして社内に取り込む会社が増えていった。営業担当者が正しい知識を得て、顧客とコミュニケーションが取れるようになり、トラブルが減少したことも事実である。また、受験を通じて習得したデジタル関連知識により、新たなビジネスチャンスを獲得する可能性も広がった。
そして、資格が定着すると更新試験に合わせて社内学習会が開かれ、先輩が指導する学びの風土が生まれた。この学びの風土の醸成こそが、資格制度の大きな目標であった。DTPエキスパート認証制度は選抜試験ではない。学ぶための道具であり、学び続ける環境こそが企業を成長させ、産業を成長させる。JAGATではカリキュラムの改訂とともに時代に最もふさわしい資格であり続けることを目指してきた。今日までに5万2340人(2017 年2月現在)がチャレンジし、2万2297人が合格している(合格率42.6%)。男性が多い業界にあって、合格者の35%が女性である。また、20代に占める女性の割合は高く、女性の活躍を後押しする制度となった。
2カ月をかけて採点
出題範囲はDTPエキスパートカリキュラムに準拠し、印刷知識はもちろん、発注側知識、文字、画像、色、コンピューター、最近ではマーケティング分野に及ぶ知識を問う筆記試験と、実際の印刷物制作を提出する課題制作が課される。受験者にとっては合否は最大の関心事である。学びのプロセスこそが大切であるというのは簡単だが、その趣旨に見合った受験者へのフィードバックや課題採点の仕組み作りは楽ではなかった。
筆記試験は「DTP」「色」「印刷技術」「情報システム」「コミュニケーション」の5 つのカテゴリーで出題され、すべてのカテゴリーで80%以上の正解率で合格となる。1つのカテゴリーで1点でも及ばないと不合格となる。採点結果はカテゴリーごとの点数を結果通知で知らせるので、不得意分野の把握ができ、次回に向けての指針となる。
課題試験は、精緻な方法で採点を行うため最低でも2 カ月は要した。落とすための採点はしない方針で、2 人以上の採点官が合理的に不可とみなして初めて不合格と判断された。最終的に、提出物に不正がないか、また採点者の不備はないか判断が分かれ、迷う課題はDTPエキスパート認証委員会(初代委員長:猪股裕一)での判定とし、委員長が最終決裁をする公正な評価採点システムを構築した。
課題採点結果も、どの要素で落ちたかがわかるようにした。結果通知は資格の合否を知らせるものだけではなく、教育的見地から受験者のステップアップの礎となるべく、改良を重ねてきた。
人材育成こそが新しいビジネスを作る
カリキュラムを基準に共通の知識を得ることによって、地域、企業でバラバラであった現場用語や手順が次第に標準化された。印刷業界だけでなく、デザイン、出版編集、顧客といった分野にも広がり、互いのブラックボックスを解消していった。
2006(平成18)年にDTPに続き、メディア制作ディレクターとしての能力開発を目指して「クロスメディアエキスパート認証制度」をスタートさせた。
印刷業界にとって「印刷メディア+電子メディア」をどう扱うかが、これからのビジネスのキーになることは間違いない。かつての印刷業界は、同じ技術、同じ設備を持ち、同じサービスで競争して成長できた。しかし今日の印刷は同質技術、同質サービスからは強いビジネスは生まれない。自らの描いたビジョンに沿って技術と設備を選択し、それに見合った人材を育成することで企業は成長する。JAGATでは今後とも時代の変化に即した学び続ける環境作りに貢献していきたい。